子どもたちは戻らず、町に新しい学校だけが遺された…

五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第3回

烏賀陽弘道

 聖火リレーの話に戻ろう。飯舘村の次に訪れたのは、南隣の川俣町にある集落「山木屋」である。飯舘村から出発すると、自動車で峠をひとつ越すと同地区に入る。山をひとつはさんでいるだけなので、飯舘村とよく似た、ひなびた山村の集落である。そこを中通り地方から太平洋岸に出る幹線道路が走っている。

 山木屋集落は不運である。総人口約1万3000人の川俣町の大半は、福島第一原発事故の放射能汚染を奇跡的に免れた。しかし、村の東端にある人口1252人の集落には、放射性物質が降った。町の中でこの集落だけが強制避難の対象になった。除染のあと避難が解除されたのは2017年3月。隣の飯舘村と同時期である。しかし、2020年春現在の帰還人口は348人。事故当時の28%にとどまっている。

 夏休みだというのに、子供の姿はどこにも見えない。というより、集落を歩いている人の姿がない。しんと静まり返っている。スタート地点に行ってみてびっくりした。飯舘村とまったく同じような真新しい「道の駅」ができていた。2017年7月オープン。こちらは「とんやの郷」という。

 町の資料を見ると「山木屋地区復興拠点商業施設」と物々しい名前が付いている。「買い物や飲食、交流機能を中心に、避難から帰還された方々の生活支援や人が集まり、にぎわいを生み出すために、また、避難によって散り散りになってしまった地域コミュニティの再生に貢献する施設」とのことだ。

 が、訪れたタイミングが悪かったのか、新型コロナウイルスのせいなのか、売店も飲食店もしまっている。トイレと自動販売機ぐらいしか使える施設がない。駐車場にクルマは入ってくるのだが、トイレを使うとすぐにまた立ち去っていく。その他はしんとして人の気配がない。

距離は800メートルだが、今回走ったコースではもっとも過酷な川俣町

スタートの「とんやの郷」。ここも住民の生活支援のために作られた施設

 まあ、いい。ランナーのように華麗にスタートしよう。ペダルを漕ぐ。道路工事の間を抜ける。平坦だ。これなら楽勝だと思ったら、急に上り坂になった。キツい。ただでさえ炎天下でキツいのに、なんだこの上り坂は。

スタートして半分くらいは平坦な道路。あと100メートル行くと左折して上り坂に

猛暑の中、この坂道を必死で上る烏賀陽氏…だが、この後、ギブアップ。自転車を押して上ることに

  途中で道を右に折れる。見上げると、山の上に真新しい校舎が見える。なるほど、あれがゴールの山木屋小中学校なのか。私は知っていた。右に折れずに、道を真っ直ぐに行くと、傍らに「山木屋中学校」があった。が、原発事故以降、校舎に子供が戻ることはなかった。空っぽのまま、校舎は8年間眠り続け、昨年跡形もなく取り壊された。

 今、かつての中学校跡には何も残っていない。フラットな更地である。校門の石柱と、その傍らのサクラの木だけが、かつてここに学校があったことを偲ばせる。そうやって、小中学校を統合した一貫校の校舎が山の上にある。 ヒイヒイ言いながら坂道を上がる。ペダルが重い。太ももが痛い。

 丘の上の教会のような、時計台が見えてきた。実は、距離にすればたいした長さではない。800メートルである。私のノロノロした自転車でも5分少々だった。聖火ランナーが走っても、テレビの放送時間はそんなものだろう。

ゴールの山木屋中学校。2020年現在、全校生徒は3人。2年後には生徒が0になるかもしれない

 この山木屋小中学校は報道でいっとき有名になった。ここも国の交付金を受け、13億円をかけて山木屋小を改修した。新しい校舎で2018年春に学校を再開したのに、翌2019年には小学校が休校になった。どいういうことかというと、在校生(6年生)5人全員が卒業する一方、新入生がゼロだったのだ。つまり在校生ゼロになった。せっかく新築校舎で再開したのに、1年で休校に追い込まれた。

 卒業した小学6年生も山木屋中学には進学しなかった。翌2020年春には、在校生は9学年で中学に1年生2人、2年生1人、全校で3人だけになった。将来、生徒がゼロになれば、中学も休校になる。教職員は10人いるが、生徒がいなくなれば、配置がなくなる。

 実は、学校を再開したときも、在校生は小学6年生5人と中学2・3年生10人、つまり9学年で全校生15人しかいなかった。避難先からスクールバスで通っていた。今も在校生3人は避難先からバスで通っている。2011年3月11日当時は、小中学校合わせて約100人がいた。今は3人。それを考えると、ひとつのコミュニティが「風前の灯火」に思える。

 そもそも、住民が戻ってこない。総人口でも3割を切っている。さらに、小中学生がいる家庭が戻ってこない。なぜそうなるのかの事情は、前に述べた飯舘村はじめ、原発事故被災地はどこも変わらない。この山木屋小中学校は、給食費や制服の無料化といった経済的なインセンティブを付けていない。そこは隣の飯舘村の希望の里学園と違う。とはいえ、結果に大きな差はない。

 汗が額から落ちた。山の稜線に、日が落ちていこうとしている。

 私は、この道の駅から丘の上の学校まで、聖火ランナーが走る姿を想像してみた。実際に走れば、川俣町内だけでなく町外からも見物人が押し寄せることだろう。800メートルの沿道を埋めるくらいの人数は簡単に集まる。旗を振ったり、ご当地ゆるキャラの着ぐるみで踊ったりするかもしれない。「お祭り」のような賑わいになるのだろう。

 その光景がテレビで中継される。丘の上に真新しい、立派な校舎がある。ランナーが坂を駆け上がる。ゴールイン。さぞかし晴れがましいシーンに違いない。しかし、それはほんの800メートル、5分くらいしか続かない。

 ゴールの学校に100人いた子供が3人しか戻らず、休校に追い込まれていることをテレビは伝えるのだろうか。集落の人口が3割も回復していないことを、アナウンサーは話すだろうか。私は悲観的である。

 真新しい建物をバックにランナーが走る勇壮な映像が大量に流れる。「復興」を印象づける映像がテレビにネットに流れるだろう。しかし、聖火ランナーのお祭りはわずか一日で去る。その後には、人口が激減した集落が残される。地元の人々は、ランナーが去ったあとも、その現実と生きていなければならない。そんな「暗い未来」を、私は思い浮かべずにはいられないのだ。

(次回につづく) 

取材・文/烏賀陽弘道  撮影/五十嵐和博

図版作成/海野智

 

 


●福島は世界に復興をアピールする“ショールーム”と化した
– 五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第1回 –

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●「車窓から事故原発が見える常磐線」全線開通の異常性
– 五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第4回 –


 

 

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プロフィール

烏賀陽弘道

うがや ひろみち

1963年、京都府生まれ。京都大学卒業後、1986年に朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て、1991年から『AERA』編集部に。1992年に米国コロンビア大学に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号取得。2003年に退社して、フリーランスの報道記者・写真家として活動。主な著書に、『世界標準の戦争と平和』(扶桑社・2019年)『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書・2017年)『福島第一原発メルトダウンまでの50年』(明石書店・2016年)『原発事故 未完の収支報告書フクシマ2046』(ビジネス社・2015年)『スラップ訴訟とは何か』(2015年)『原発難民』(PHP新書・2012年)     

 
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