北朝鮮との難しい交渉を行うためには優れた能力と経験を持つ専門家が必要だが、トランプ政権内にはそのような人材はあまり見当たらない。3月2日には国務省のジョゼフ・ユン北朝鮮担当特別代表が辞任したが、北朝鮮の核開発を阻止するための6カ国協議の首席代表を務め、北朝鮮とのパイプを持つ同氏の辞任はトランプ政権にとって大きな痛手であろう。
それに加え、在韓米国大使のポストは1年以上空席となっている。昨年秋、ブッシュ(子)政権で国家安全保障会議(NSC)のアジア部長を務めたビクター・チャ氏が次期駐韓大使の候補に検討されたが、最終的に見送られた。トランプ政権の北朝鮮政策に非公式に異論を唱えたのが理由ではないかと言われている。チャ氏も6カ国協議で次席代表を務めた経歴を持つ。
チャ氏は米朝首脳会談が発表された翌日、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、こう述べた。
「トランプ大統領が2カ月以内に金委員長との会談を行うと発表したことは、答え(解決)よりも多くの疑問(問題)を提起した。型破りな2人の指導者の会談は予測不可能である。数十年も続いた両国の争いを終わらせるためのまたとない機会を提供する一方で、会談が失敗すれば両国を戦争の瀬戸際に押しやる可能性がある」
今回の首脳会談の発表では、最初からホワイトハウスの混乱ぶりが目立った。トランプ大統領は北朝鮮側の真の狙いや前提条件などをきちんと確認せず、側近らに相談することもなく、即断したという。そのため専門家からは、「拙速すぎて、準備不足だ」「外交的地ならしもないまま、北朝鮮のプロパガンダに利用されるだけだ」「トランプ大統領は“世界一の交渉人”を自称しているが、その虚栄心を金委員長にうまく利用されたのではないか」などの批判が相次いだ。
とくに懸念されるのは先述した両者の認識のギャップが明確となり、交渉が行き詰まった時、トランプ大統領がどのような行動に出るかである。トランプ氏の性格からして、北朝鮮に対する軍事攻撃に出る可能性は十分あると思われる。場合によっては核兵器を使用するかもしれない。
プロフィール
矢部武(やべ たけし)
1954、埼玉県生まれ。国際ジャーナリスト。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。銃社会、人種差別、麻薬など米深部に潜むテーマを描く一方、教育・社会問題などを比較文化的に分析。主な著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)『大統領を裁く国 アメリカ トランプと米国民主主義の闘い』『携帯電磁波の人体影響』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)『大麻解禁の真実』(宝島社)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)。