「傷だらけの天使」とは何だったのか? vol.2

竹中直人×山本俊輔×佐藤洋笑 『永遠なる「傷だらけの天使」』刊行記念
竹中直人×山本俊輔×佐藤洋笑

山本俊輔さん・佐藤洋笑さんの共著『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)刊行を記念し、俳優・映画監督の竹中直人さんを迎えて刊行記念トークイベントが開催された。『傷だらけの天使』のキャスト・スタッフとともに仕事をした竹中さんが、独自の視点で語った萩原健一さんと『傷天』の魅力──その一部をご紹介します!
※2024年6月11日、東京・新宿ロフトプラスワンで行われたイベントを採録したものです。

(左から)山本俊輔さん、竹中直人さん、佐藤洋笑さん

テレビが映画だった時代、これまでに見たことがない俳優が現れた

竹中 こんな素晴らしい本の出版記念に、僕なんかを呼んで下さり、とっても照れくさいです。

佐藤 いえ、僕たちこそ子どものころから観ている方を前にして緊張しています(笑)。

山本 さっそくですが、竹中さんは昔から映画が好きだったことで有名なんですが、どんな映画をご覧になっていたんですか?

竹中 子どものころは、加山雄三さんの「若大将シリーズ」など東宝映画を観る事が多かったですね。大好きな西村潔監督の『死ぬにはまだ早い』(69年)や、『豹(ジャガー)は走った』(70年)などにも夢中でした。

佐藤 和製ハードボイルドと誉れ高い、東宝ニューアクションの1本。

竹中 当時は映画館も今のような完全入れ替え制ではなかったので、好きな映画を何度も繰り返して観ていました。とくに『燃えよドラゴン』(73年)は観ましたねー!

山本 何度も竹中さんのモノマネで観たブルース・リー!(笑)

竹中 それから『エクソシスト』(73年)、この2作品はずっと繰り返し観ていたのでモノマネはすぐに出来ます(笑)。

佐藤 そのなかで、萩原健一さんに出会ったのは?

竹中 萩原さんはザ・テンプターズのころから知っていました。萩原さんが俳優になっていく段階を普通に観て、感じていました。これまで自分が見たことがない俳優というのが最初のイメージですね。

山本 『太陽にほえろ!』(萩原の出演は72〜73年)のマカロニ刑事はセンセーショナルだったそうですが、やっぱりカッコよかったんですか?

竹中 とにかくカッコいいというか、あまりにも個性的で、全力の芝居なんですよね。走り方も普通じゃない。それで、あの顔としゃべり方、みんな誰しもが好きになるでしょう?! 圧倒的なスター感がありました!!

佐藤 そんななかで『傷天』が始まるわけですね。

竹中 ぼくは1956年生まれ、高校生のときでした。当時はマニアックな連中とよく映画や音楽の話をしていました。井澤、正岡、鈴木修平、布施賢司らと5人で集まっては「やっぱ最高だな」って夢中になって話していました(笑)。個人的には『祭りばやしが聞こえる』(77〜78年/日本テレビ系)がたまらなく好きでしたね。

山本 ひとつの高校にシネフィルが5人も集まるのは、珍しい(笑)。

竹中 『傷天』も16ミリフィルムで撮られていて、僕自身もテレビというより映画の感覚で観ていました。テレビドラマも「テレビ映画」という言い方をしていた時代でしたからね。

山本 まさに、テレビが映画だった時代ですよ。

竹中 スタッフも、映画を支えた名だたる名監督、職人の方々が支えていらっしゃった。今観ても、映画的なアングルを狙って、効率よく即興的な勢いで撮るっていうのを目指していたんだろうな、とわかりますね。説明カットも出来る限り省いて。

山本 撮影でいえば、初期の作品は木村大作さんがキャメラマンですものね。お仕事されたことは……。

竹中 あります。もう、怖いです。圧倒的な存在感。僕がご一緒させていただいた時はもうすでに巨匠と呼ばれる存在でした。カメラマンなのにまるで俳優のようなオーラがすごかった。

憧れの人は、自分の出演CMを覚えていてくれた!?

山本 竹中さんは、萩原さんとは何度もお仕事をされていると思うんですが、最初の出会いはいつだったんですか?

竹中 五社英雄監督作品『226』(89年)の時です。まだぼくが31歳の時……うわあ、もうそんな前になるのかあ(笑)。あの作品は琵琶湖にオープンセットを建てて撮影しました。撮影初日になんと、萩原さんのほうから声をかけていただいたんです(汗)!

佐藤 それはすごい。どんな会話だったんです?

竹中 遠くのほうから萩原さんが「竹中さーん! 竹中さーん!」と呼ぶんです。「観てるよー、アートネイチャーのCM!」って。

佐藤 当時、竹中さんが出ていたCMを……。

竹中 でもね、当時僕がやっていたのはアデランスなんです。だから「あっ! 萩原さん、違いますー、アデランスですー!」と否定すると、「いやいや、アートネイチャーだよー!」って。

山本 本人が言ってるのに、否定するんですか(笑)。

竹中 はい。なのでまた「アデランスですー!」と言っても、「アートネイチャーだよ!」っておっしゃるので、「はい、アートネイチャーですー」と言いました。これが萩原さんとの初めての会話です。

佐藤 折れちゃった(笑)。負けないですねえ、萩原さん。

竹中 はい!

佐藤 萩原さんは野中四郎大尉役で、竹中さんは磯部浅一一等主計役。それぞれ二・二六事件の中心となった人物ですものね。

竹中 萩原さんとは同じシーンが多かったので、撮影のセッティング中に萩原さんの呼吸を感じることができたんです。鼻からゆっくりと空気を吸って口から静かに息を吐いている。それを感じられる距離に自分がいると思うだけでたまらなかったです。

山本 となると、すぐに仲良くなったり……。

竹中 いえいえ。佐野史郎や、うじきつよしをはじめ、みなさん萩原さんに憧れているから、なかなか近づけなくて、照れくさいしね。撮影の日々を重ねるようになって、ようやく撮影の合間にいろいろとお話させていただいたり、土日は飲みに連れて行ってくださったりしました。実はそのころ、ぼくはお酒が飲めなかったんです。でも萩原さんとお話しするなんて貴重な体験だから、飲めるふりをしてご一緒させていただきました。

佐藤 どんなお話をされたんですか?

竹中 ある日、萩原さんが突然「竹中さん、恋してんの?」って聞くんです。 「今は恋はしてないですが、たまたま入った京都の喫茶店で、とてもすてきな女の娘がウェイトレスをやってて、だから撮影の休みに文庫本を持って彼女をこっそり愛でに行ってるんです」と言いました。そうしたら萩原さんが「今度連れてってよー」と言うんです。そして、撮影の休みの日に萩原さんと一緒にその喫茶店に行ったんです。萩原さんはマスクや帽子もせずに普通に街を歩くんです。それでね、すれ違う女の子を全てしっかり目で追うんです。

山本 すごいなあ(笑)。

竹中 「本能の赴くままな生き方をされているんだな…」と深く感じました。

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プロフィール

竹中直人×山本俊輔×佐藤洋笑

竹中直人(たけなか なおと)

1956年3月20日、神奈川県出身。俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。オフィスレディバード所属。

山本俊輔(やまもと しゅんすけ)

1975年生まれ。作家、映画監督。『殺し屋たちの挽歌』でロードアイランド国際ホラー映画祭観客賞を受賞。『カクトウ便/そして、世界の終わり』で劇場公開デビュー。映画の分野をメインに執筆活動中。

佐藤洋笑(さとう ひろえ)

1974年生まれ。音楽雑誌編集者を経て映画、音楽を中心にライターとして活動。山本俊輔との共著に『NTV 火曜9時』『映画監督 村川透』(DU BOOKS)がある。

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