『傷天』から50年、「アキラ」の娘をヒロインに映画を撮る
佐藤 『傷天』には、萩原さんのほかにも、個性的な俳優さんたちが大勢登場しますね。
竹中 はい。個性的な俳優を見るたびしびれまくってました。辰巳役の岸田森さんは『帰ってきたウルトラマン』(71〜72年/TBS系)シリーズをはじめ、子供のころから観ていた映画やテレビで不思議なオーラを放っていましたから、子供ながらに良く知っていました。残念ながら共演はかないませんでした。綾部役の岸田今日子さんとは共に舞台をやったんです!
山本 それはいつくらいですか?
竹中 僕が岩松了さんとやっていた『竹中直人の会』の『隠れる女』(第8回公演・00年)ですね。小泉今日子さんも出演してくれて、「ダブルキョンキョン」をゲストに迎えた芝居だったんです。
山本 それは豪華だ。竹中さんが誘ったんですか。
竹中 はい。「岸田さん、今度下北沢本多劇場で演る舞台があるのですが…」とお誘いしたら、「ぜひやりたい!」と言ってくださったんです。
佐藤 岸田さん、稽古場ではどんな感じなんです?
竹中 うーん……とにかく全然セリフを覚えてくださらない(笑)。僕のほうが先に岸田さんのセリフ覚えちゃって…(笑)。本番の1週間前に、とうとうガマンできなくなったぼくは「岸田さん、お願いします! セリフを覚えてください。あと1週間で幕が開いちゃうんです」と言ってしまった。今考えると、あの岸田今日子に大変なことを言ったもんだと思いますね。
山本 岸田さんは何かおっしゃったんですか?
竹中 「本当に毎日毎日稽古ばかりで、家に帰って、お風呂に入って、ベッドに入ったらバタンキューなのよ……でも、今日からは必ずベッドでも台本読んで寝るわ、お疲れさま…」って帰っていかれた。そして僕らも帰ろうとしたら、稽古場の机に台本が置いてあるんですよ。「え? これ、誰の台本?」って見たら、台本に「岸田今日子」って名前が書いてあった(笑)。
山本 豪快ですねえ(笑)。
竹中 でもね…幕が開くともう最高に面白いんです。あの存在感と、あの醸し出す空気! そしてあの声です! 全てを持って行ってしまう…圧倒的にすごかったです。
佐藤 あと、アキラ役の水谷豊さんとは共演されていましたっけ?
竹中 CMではあるのですが、映画・ドラマだとないですね。『相棒』(Season 3・04年/テレビ朝日系)に出させていただいたこともありますが、同じシーンには登場していません。
佐藤 ああ、亀山(寺脇康文)が一時期転属した先の上司役でしたから。
竹中 たまたま食事をするため寄ったお店に、水谷さんがいらっしゃって、ごあいさつしたことはあります。そのときに趣里ちゃんも一緒でした。その趣里ちゃんがまさか、自分の監督映画『零落』(23年)に出てくれる日がくるとは…。
山本 アキラの娘をヒロインに(笑)。松田優作さんの息子さんたち、龍平さん、翔太さんともお仕事されていますし。
竹中 そうですね。『傷天』が18の時で、僕ももう68……うわ、もうそんなに時がたつのか…(笑)。
フィルムからにじみでる、ショーケンの作品づくりへの思いと、スタッフからの愛情
竹中 あと『傷天』といえば、萩原さんの革ジャンがかっこよかったなあ……。『大脱走』(63年)でスティーヴ・マックイーンが空軍のA-2フライトジャケットを着ていて、それに近いものを萩原さんも着ていたでしょう?
佐藤 A-2と襟の違う、G-1タイプっぽい革ジャンでしたね。
竹中 そうそう。ほかの服もみんなかっこよくて。菊池武夫さんが衣装を担当していただけありますよね! あっ! ちょっと話がそれてしまうんですが、『燃えよドラゴン』でブルース・リーがお墓参りをするシーンがあるじゃないですか? そのシーンでブルースが着ていたグレーの細身のスリーピース、誰のデザインかわかりますか?! あっ、もうわかっちゃいましたね(笑)。
佐藤 え、菊池武夫さんのデザインなんですか?
竹中 そうなんです! 最近、浅野忠信くんとインタビューを受けたブルース・リーのムック本(宝島社『燃えよ! ブルース・リー 猛龍伝説』)で、菊池さんがインタビューに答えていました。ビックリしたんです。研究家の方がそのスーツを大切に保管していらっしゃって、ブルースの背中の筋肉とか、身体のラインを感じられるぐらいスーツにブルースの肉体の残像が残っているんです!
山本 たしかに、あの細身のスーツはカッコいい。時勢もあると思うんですが、『傷天』も萩原さんがタイトなシャツを着ていたりしますもんね。
佐藤 オーバーサイズの場合もあるんですよ。僕たちの本でも菊池さんにお話をうかがったんですが、『傷天』には既製品を使っているんですね。だから萩原さんにはちょっとオーバーサイズだったり、タイトだったりするんだけど、サラッと着こなせる。
竹中 萩原さんは細身だけれど肩幅が広いんですよね! それがたまらなかった。優雅に肩が張っているんですよね。今で言えば磯村勇斗くんみたいな体格ですね! そのシルエットも魅力的でした。
山本 あと、『傷天』の音楽はいかがですか?
竹中 もちろん素晴らしいです。当時のテレビ映画のなかでも『木枯し紋次郎』(72〜73年/フジテレビ系)と双璧だと思います。
佐藤 井上堯之さんを含め、昔の音楽仲間を連れてきたのも萩原さんの発案だったそうです。
竹中 萩原さんはエネルギーに満ちあふれていて、多方面にアンテナを張り巡らされていていた方なんですよね。一本の作品を作るという情熱がとても激しかった。その思いに応えようとするスタッフのみなさんが、萩原健一というたったひとつの個性をとても愛していた。神代辰巳さんが監督した回や、映画『青春の蹉跌』(74年)や『アフリカの光』(75年)を観ると、萩原さんへの深い愛情が伝わります。
山本 そういえば、神代監督は、俳優として竹中さんの監督デビュー作『無能の人』(91年)にも出演されていますね。
竹中 はい、どうしても神代監督に自分の映画に出てもらいたくて。〈鳥男〉の役を演じていただきました。2月の寒い時期の土砂降りの雨降らしの撮影でした。吹き替えの方も待機していたのですが、神代監督は「自分で演る」と吹き替えなしで、びしょ濡れになりながらも演じてくださいました。体調を崩されていたころだったので心配だったのですが…。後に新井晴彦さんに「神代監督にお前は何をやらせたんだ!?」と怒られました。
プロフィール
竹中直人(たけなか なおと)
1956年3月20日、神奈川県出身。俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。オフィスレディバード所属。
山本俊輔(やまもと しゅんすけ)
1975年生まれ。作家、映画監督。『殺し屋たちの挽歌』でロードアイランド国際ホラー映画祭観客賞を受賞。『カクトウ便/そして、世界の終わり』で劇場公開デビュー。映画の分野をメインに執筆活動中。
佐藤洋笑(さとう ひろえ)
1974年生まれ。音楽雑誌編集者を経て映画、音楽を中心にライターとして活動。山本俊輔との共著に『NTV 火曜9時』『映画監督 村川透』(DU BOOKS)がある。