70年代を代表するスター俳優・萩原健一と松田優作の関係
山本 竹中さんは、そういった憧れの人と仕事で一緒になると、真っ先に声をかけようとするタイプなんですか?
竹中 いえいえ、ぼくは人の懐にふわっと入っていけるような調子のいい人間ではなかったので、なんとなく距離を置きつつその人に近づいていく、という(笑)。原田芳雄さんも憧れの存在でしたからね。たまたまドラマ(『大胆素敵』84年/TBS系)で共演させていただいて、それが縁で、芳雄さんにはかわいがっていただきました。優作さんも、内田裕也さんも芳雄さんが紹介してくださったんです。
佐藤 すごい人脈だ(笑)。
竹中 その後、ぼくが初めてのコンサートを新宿のシアターアプルでやったとき、ゲストが芳雄さんと優作さんだったんです! 「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を3人で歌ったときはもう目が眩むほど、気を失うほど夢のようでした。
山本 どうしても僕たちは、竹中さんというと優作さんのモノマネのイメージが強いんです(笑)。そういえば、竹中さんがよくモノマネをされる方々って、きっかけがあったんですか?
竹中 単純に「憧れ」ですよね。加山雄三さんのモノマネも「若大将シリーズ」が大好きで始めたことでしたから(笑)。
佐藤 草刈正雄さんも……。
竹中 「みなさんこんばんは、草刈ぃ正雄です」(笑)。
山本 生で見られた!(笑) やっぱり、カッコいいものって、マネしたくなりますよね。影響を直接的に受けてしまうというか。あと優作さんは、俳優さんにもフォロワーも多かったですよね。古尾谷雅人さんとか。
竹中 古尾谷もすてきな俳優でしたね。あとは、又野誠治ですかね。
山本 『太陽にほえろ!』のブルース刑事!
竹中 僕、『太陽にほえろ!』に1回だけ出たことがあって(第682話「揺れる命」・86年)、又野くんに追いつめられる役だったんです(笑)。しゃべり方も優作さんそっくりだったし、かわいくなってしまうくらい優作さんに憧れていたんですよ。まさか、ふたりともいなくなってしまうなんて……。
佐藤 そういえば、初期の優作さんは原田芳雄さんからの影響って強かったですよね。
山本 時を経るうちに、萩原さんからの影響が出てきた感じがします。
竹中 優作さんは、萩原さんへの憧れが相当強かったと思いますね。優作さんが原案で、工藤栄一さんが監督した『ヨコハマBJブルース』(81年)なんて、その思いをとても強く感じる作品でした。
佐藤 『傷天』のオサムがアキラをドラム缶風呂に入れてやって、「女抱かしてやるよ」とグラビアを入れてあげる有名なクライマックス、この『BJ』で近いことをやってましたもんね。
竹中 優作さんにとって、萩原さんの存在はとっても大きかったんだと思います。一ファンとして、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(89年)を観たときにも優作さんのお芝居にそれを強く感じました。
山本 萩原さんは優作さんに比べて、影響が見えづらいところはありますね。ものすごく勉強されていたと聞きますが。
竹中 萩原さんは、常に誰にも影響されないオリジナルなんですよね。ただ、『祭りばやしが聞こえる』で共演した山崎努さんの影響は少しあったんじゃないかとぼくは思うんです。だけど、萩原さんは常に本能的、生理的な部分で演じていたんじゃないのかな…。もともと萩原さんは音楽、優作さんは演劇の出身でしょう。優作さんは劇的なセリフを残しているけれど、萩原さんはセリフで勝負って感じじゃないような……。
佐藤 ああ、たしかに『太陽にほえろ!』の殉職シーンでも「セリフの差」は感じますね。
竹中 そういった意味でも僕たちは、萩原さんに唯一無二の存在感を感じたんだと思います。
「いつまでもタックルしてくれ!」と願った、最後の仕事
山本 『ブラック・レイン』の話ですけど、優作さんが演じた佐藤の役は、萩原さんもオーディションを受けていたそうですね。
竹中 ええ。そのことを萩原さんに聞いたら、「脚本があまりにひどいからさ、俺は降りたんだ。それで『226』に来たんだ」とおっしゃっていました。
佐藤 何かが合わなかったんでしょうね。あのアクション、萩原さんの演技でも観てみたかった気がします。
竹中 個人的な意見ですが、アクションという意味でも、優作さんは拳銃が似合う。でも萩原さんって素手で闘うイメージなんですよね。そして勝つわけではなく、逆に負けちゃうみたいな。生の身体で無茶をして、その無様さの美学を表現できる俳優って、他にいないだろうと思います。負けの美学。
山本 カッコ悪いのがカッコいい。
竹中 うん……でもやっぱりカッコいい! 『傷天』もそうですが、とことん追い詰められて、叫びまくって、泣きまくって、落ちぶれても、それでもカッコいい。そんなお芝居、誰にもマネができないです。
佐藤 その無様さがサマになる、希有な人なんでしょうね。
竹中 そうです。歳を重ねても、〈萩原健一〉は〈萩原健一〉で、本当に最高なんです。だから、今さらこんなことを言ってもただただ虚しいだけですが、もっと萩原健一にぶつかっていくプロデューサー、脚本家、そして監督がいてくれたら、もっともっと萩原さんは映画の世界で戦えたと思うんです。なんだか偉そうなことを言ってしまいました…。
佐藤 いや、まさにおっしゃるとおりだと思います。
山本 最後に萩原さんとお会いしたのは、いつですか?
竹中 亡くなる前年に放送されたNHKのドラマでご一緒したときです。かなり体力的につらかったころだと思います。
佐藤 シニアラグビーを主題にした『不惑のスクラム』(18年)。
竹中 そうです。僕が萩原さんに後ろからタックルされるシーンの撮影でした。カメラマンのピン送りがなかなかうまくいかず、何度も僕が萩原さんにタックルされることになってしまった。
山本 それは萩原さんも怒るでしょう?
竹中 真夏の炎天下のロケでしたからね。萩原さんは「何度やらせんだよ!」って怒っていました。でもね……僕はとってもうれしかったんです。だって、あの萩原健一に何度も何度も後ろから抱きしめてもらえるんですから…。カメラマンよ、何度でもNGを出してくれ! この時間がずっと続いてくれ! ってこころの中で思っていました。
写真/甲斐啓二郎
構成/一角二朗
プロフィール
竹中直人(たけなか なおと)
1956年3月20日、神奈川県出身。俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。オフィスレディバード所属。
山本俊輔(やまもと しゅんすけ)
1975年生まれ。作家、映画監督。『殺し屋たちの挽歌』でロードアイランド国際ホラー映画祭観客賞を受賞。『カクトウ便/そして、世界の終わり』で劇場公開デビュー。映画の分野をメインに執筆活動中。
佐藤洋笑(さとう ひろえ)
1974年生まれ。音楽雑誌編集者を経て映画、音楽を中心にライターとして活動。山本俊輔との共著に『NTV 火曜9時』『映画監督 村川透』(DU BOOKS)がある。