「能力主義」を乗り超えていくために

勅使川原真衣×近内悠太 『働くということ』刊行記念
勅使川原真衣×近内悠太

能力主義は、誰も得をしないまま、みんなが苦しんでいる「ゲーム」

近内 さて、勅使川原さんとは今とても仲良く話しているように見えますが、実は30分くらい前が初対面です(笑)。でも、ご著書を読んでいるときから、多分相当人間観の近い方だなと思っていました。

勅使川原 うれしいです。私も近内さんの『利他・ケア・傷の倫理学』を読んで、共通する部分があるなと思って。特に後半の、何かきれいにまとめるんじゃなくて、とにかく「やめないこと」、キープゴーイングが大事なんだというところ。私の今回の本も「とにかく会話をやめない、相手の口をふさがないことが大事」だということが一番言いたかったので、読んでいて「うわあ、この人と話したい」と思いました。

近内 ありがとうございます。人間観という話で言うと、僕は人間にとって「弱さ」はデフォルトだと思っているんです。

勅使川原 デフォルト?

近内 今の世の中は、たまたま今強がることができる環境にいるタイミングの人ばかりが発言しているように見えるけれど、それは弱い立場にいる人は大きな声が出せなくて、その声が届かないからですよね。人間は本質的には弱い存在だし、文明というのは必然的に人が傷つくシステムなんだ、ということを、本でも書きました。

勅使川原 能力主義も、そのシステムの中での競争なんですよね。

近内 そう、ルールの中でいかに最適な行動が取れるかという競争ですね。でも、その「勝ち負け」にはその人を取り巻く環境も関係してくるんじゃないかと思うんです。
 たとえば、今の世の中でブイブイ言わせてる人って、現代の文脈、環境において能力を発揮できているというだけなんじゃないでしょうか。じゃあ同じ人が500年前に必ず同じ能力を発揮できるかといえば、そんなことはないわけで。その人の能力を発揮できる環境が、そこにはないかもしれないんですよね。 
 人に聞いた話ですけど、無人島に子どもたちを連れて行ってそこで何日か生活させるプログラムがあるそうなんです。一応ライターくらいは持って行ってもいいみたいですが、それ以外は「サバイバル」。それで、そういう環境になったときに輝くのは、いわゆる発達障害といわれるような子どもたちであることが多いというんですね。
 たとえばそういう子の中には、薪を集めてくるといった単純だけど重要な作業を、ずっと1日中「飽きた」なんて言わずに続けられることが多かったりする。あるいは、「これは食べていいもの」「ダメなもの」なんていう識別能力に優れた子もいる。その一方で、都市環境でうまく生きられている、勉強のできる子がそこでは何もできなかったりするんだそうです。そう考えると、やはり能力というのは環境に依存するものでもあるんですよね。
 僕らはずっと今の社会の中で生きてきているから、数十年後もこの環境が続くと信じているけど、何かによって環境が変わってサバイブしなきゃいけないということになったときには、おそらく今の社会で評価されているのとは違う「能力」が花開くんだと思います。

勅使川原 そうですよね。今の社会は、ちょっと左脳的な知性が優位になりすぎていると感じます。

近内 そうなんですよ。もっと身体由来の能力も含め選択肢が複数あれば、「この人はこっちは苦手だけど、こっちは割とできる」と、それぞれの凸凹を認めつつ評価ができる。それなのに、そういう多様性が花開くだけのルールを用意せず、同じルールのままなのに「多様性が大事ですよ」なんて言い出しているのが現代社会で。それはちぐはぐになるに決まっていますよね。

勅使川原 おっしゃるとおりです。でも、それを「平等な競争」だと思ってありがたがる人もいるわけですよね。というか、自分自身もそういうところがあると思います。
 能力主義って、本当に不思議なんですよ。おっしゃるとおり実際には人間はもっと弱くて、自立してない人間同士が助け合って社会が成り立っているはずなのに、その人間同士を熾烈な競争に追いやって、「誰が強いか」を競い合わせる。こんなの、誰が得するの? と思うんですけど。

近内 誰も得しないで、みんなが苦しむだけのゲームをずっと続けているような気がしますね。『働くということ』はそういう、みんな当たり前だと思っていたことについて「本当にそうなのかな」と、読む人を戸惑わせて考えさせるきっかけになる本だと思っています。

勅使川原 そう言っていただけるとうれしいです。そういえば「揺さぶられました」という感想もいただきました。

近内 文体もすごくチャーミングだと思いました。結構いろんなところでメラメラ怒りを燃やしておられて。でも、そこをぎりぎりこらえて品のある書き方をされていますよね。

勅使川原 ありがとうございます。私はこれも「脱能力主義」だと思っているんですよ。説得力のありそうな、権威の高そうな表現しか出版物にならないって、おかしいじゃないですか。

近内 たしかに、何かに風穴を開けようとしている文体だなとも思いました(笑)。書いている人の声が聞こえてくるような感じでしたね。

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プロフィール

勅使川原真衣×近内悠太

勅使川原真衣(てしがわら まい)

1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)がある。

近内悠太(ちかうち ゆうた)

教育者、哲学研究者。統合型学習塾「知窓学舎」講師。著書『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicksパブリッシング刊)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。近刊に『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』(晶文社)がある。近内悠太WEBサイト https://www.chikauchi.jp

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