他者と働くということは、一体どういうことでしょうか。なぜわたしたちは「能力」が足りないのではと煽られ、自己責任感を抱かされるのでしょうか。組織開発専門家の勅使川原真衣さんの新刊『働くということ 「能力主義」を超えて』では、著者が自ら経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」能力主義に疑問を呈し、人と人との関係を新たに捉え直す組織論が展開されています。
今回、著者の勅使川原真衣さんと、『世界は贈与でできている』『利他・ケア・傷の倫理学』著者の近内悠太さんによる対談を企画しました。他者と働き、他者とつながるときに大切なものは何か、そのためにこの社会に何が求められるのか等、お二人の問題意識が交差するトークを、ぜひ味わってください。
※2024年7月25日、東京・代官山蔦屋書店で行われたイベントを採録したものです。
「能力」という実体のないもの
近内 『働くということ』を読ませていただきました。「能力」という観点から働くこと、生きることを捉え直すというのは、すごく現代的だし「目からうろこ」の発想だなと思いましたね。
勅使川原 ほんとですか。うれしいです。
近内 勅使川原さんには『職場で傷つく』という新刊もありますが、このタイトルの通りで、どうしてこんなに「働く」だけで傷つく時代になってしまったのかな、と思います。技術革新が進んでいるにもかかわらず、「働く」ことは逆にどんどん大変になっていっている。働く人に求められるラインが上がっていって、みんなそれにキャッチアップするのに必死……。これはどう考えても、根本のところで何か間違っているんじゃないかと思うんです。
そう考えたときにキーワードになるのが、『働くということ』で書かれている、個人の能力によってさまざまなことが決まるという「能力主義(メリトクラシー)」じゃないでしょうか。僕たちは、「能力」というものに何か実体があって、それを所有しないといけないんだと思い込んでいる、そしてそのことに絡め取られてどんどん苦しくなっている。でも、実際には「心」というものに実体がないのと同じように、「能力」に実体なんてないんじゃないか、ということですよね。
勅使川原 そうなんです。しかも、能力主義を論じるにあたっては、人間というものが真空状態の中に浮かんでいる、完全に個人主義的な生物であるかのような認識が前提になっている気がします。近内さんがご著書の『利他・ケア・傷の倫理学』の中で、星は目に見えてもその星をつないで星座にする「線」は見えないのと同じで、何かと何かの「関係性」は目に見えない、でもそれこそが一番大切なものなんだということを書かれていましたが、能力主義においては、人の周りにその「関係性」がまるで存在しないかのように捉えられているんですよね。そこがまず危うくないでしょうか。
近内 すべてを「個人の能力」に集約させるんですよね。でも、これは僕も本の中で一貫して言っていることですが、本来人間というものは常に誰かに、あるいは何かに突き動かされて行動している。つまり、すべては他者とのコラボレーションによって成り立っているんじゃないかと思うんです。こういう人間観ってけっこう楽しいと思うんですが、今はそうではなく「私が」という主語がちょっと強くなりすぎている気がします。「個人」という発想に疲れ果てているのが現代という時代なんじゃないかと。
勅使川原 そうなんです。たとえば職場での能力評価も、すべてが個人単位。「あなたは何がどのくらいできるんですか、その貢献度分の給与を支払いますよ」と、個人主義的な人間観がベースになっているんですよね。
近内 そうした「能力というものが個人の内側に実体としてある」という人間観がよく表れているのが、学校教育における定期試験だと思います。よく塾などでも生徒たちに言うんですが、社会に出たら何の仕事でも、複数の担当者が協力し合いながら進めていくことになりますよね。本を書くときだって、他の本を引用したり、誰かにアドバイスをもらったり……。それなのに、学校の試験では本もインターネットも見ず、個人の中にある知識だけで解答して評価を受ける。非常に奇妙な形だと思います。
能力というものは個人の内側に実体としてあって、それを努力して磨くかどうかも個人の責任。だから、その人が「磨いた」能力を使って得たものも、ほかの人と分け合う必要もなく、その個人に属しているんだという人間観、世界観が能力主義の前提なんですよね。私的所有の行きつく先、というか。
勅使川原 あと、能力主義って、能力が「上がっていく」一方でないといけない人間観なんですよね。いい加減疲れるし、立ち止まりたいと思いませんか。
近内 立ち止まるというか、僕は引き返したいです(笑)。今、社会の枠組みもどんどん難しくなっていっているでしょう。以前、病院にいったとき、さまざまなワクチン接種のための手続きや疾病に関する情報についての説明書きが壁に貼ってあるのを見たんですけど、これを読んで端から端まで全部をすぐ理解できる人ってどのくらいいるのかな、と思いました。
もちろん、基本的に僕らは文字としては読めるけど、ホモ・サピエンスの認知能力って本来、そんなにいろんなことを処理できるわけではないと思うんですよ。ところが今は、インターネット上のいろんなサービスが入ってきたこともあって、僕らは毎日自分たちの限界を超えたものを処理しなくちゃいけなくなっているんじゃないかと思います。たとえばSNSに書き込みをするにも、「こんなことを書いたら炎上するかも」「特定されるかも」なんてことを常に考えないといけないわけでしょう。僕らの脳のキャパシティを明らかに超えていると思うんですよね。
プロフィール
勅使川原真衣(てしがわら まい)
1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)がある。
近内悠太(ちかうち ゆうた)
教育者、哲学研究者。統合型学習塾「知窓学舎」講師。著書『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicksパブリッシング刊)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。近刊に『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』(晶文社)がある。近内悠太WEBサイト https://www.chikauchi.jp