「能力主義」を乗り超えていくために

勅使川原真衣×近内悠太 『働くということ』刊行記念
勅使川原真衣×近内悠太

「誰でもできる」役割があるということ

勅使川原 それにしても近内さん、お話しなさっているのを聞いていると、タレントさんみたい。すごく滑らかだし、どこで息吸ってるんだろうという感じですよね(笑)。

近内 「何かしゃべらなきゃ」って思っちゃって、余裕がないんですよ。早口だし。

勅使川原 サービス精神もあるんじゃないですか。

近内 そうかもしれないです。塾や予備校での授業のときも、「今日この生徒たちは、何をお土産に持って帰ってくれるだろう」なんてことを考えたりします。こちらが想定したものと違っていてもいいから、僕の授業を聞く前と後で何かが変わってほしい、一つでいいから何かを持って帰ってもらわないと気が済まないというか。今日のイベントもそうですね。

勅使川原 分かります。私の専門である組織開発も、その点では似たところがあるかもしれません。いつも、その組織の方と面談でいろいろお話をしながら提案をしていくわけですが、対話を通じて「そんな視点があったんですね」「それは初耳だ、けどアリっちゃアリですね」という気づきを得て帰ってもらいたいな、という思いがあります。

近内 そうですよね。いくら説得したって、当事者がやりたくなかったら何も動かない。本人たちが「そうだったのか」と気付いて変容してくれないと変わらないじゃないですか。なぜこの組織がうまくいっていないのか、手を替え品を変え、言葉を尽くして説明する中で、やっと相手が「確かにそうですね」と言ってくれる、みたいな感じなのかなと思いました。

勅使川原 そうなんです。ただ、ちょっと愚痴みたいになりますが、本人に「そうか」と思ってもらわなきゃいけないということは、私の仕事はつまり徹底して「黒子」なんですよ。

近内 「自分で気付きました、ありがとうございました!」で終わっちゃうわけですね(笑)。ただ、「あなたのおかげです、ありがとう」と言ってもらえるかどうかというのは、その人の能力とは多分関係ないですよね。その人がそこに「いる」ということが大事なのであって。

勅使川原 そう思います。家族も、仕事での関係性も、本当はそういう形であるべきなんじゃないでしょうか。

近内 僕は本来、人間がずっと営んできた共同体には、「誰でもできる役割」というものがあったんじゃないかと考えているんです。
 たとえば最近『ゴールデンカムイ』というアニメを見たんですよ。アイヌの人たちがたくさん出てくる話で、登場人物のある女性が出産をするシーンでも、アイヌの女性がそれをサポートするんです。そのときに、その女性が周りにいるアイヌの男性たちに「あんたは藁を持ってこい」「あんたはお湯を沸かせ」「あんたはこっちの子の面倒を見ていろ」という具合に、次々役目を振っていくんですよ。さらに、いよいよ生まれるという場面では、アイヌではない和人の男たちにも「土間で臼を転がしなさい」と指示を出すんです。
 臼には女神が宿っていて安産のおまじないだからというんですが、ポイントは「男に役割を与える」ところだと思うんですよ。出産の場で、医師でもない男性には直接的にやることがないでしょう。それが「お湯を沸かせ」とか「臼を転がせ」とか言われることで役割が、しかも特に能力がなくてもこなせる役割が与えられるわけです。
 今の社会って、表に出てくるのは「専門家」ばっかりじゃないですか。

勅使川原 そうですね。

近内 以前なら、家で何かが壊れたら自分で直したり、近所の人に頼んだりしていたかもしれないけど、今はそれも全部お金を払って専門家に頼む。もちろん、勅使川原さんも書いてらっしゃいましたが、医師や看護師のように、能力のある専門家にしかできないことは当然あります。でも、もっと日常レベルで誰でもできる役割みたいなものがもう少しあれば、多くの人が居場所を見つけられるんじゃないかなと思うんです。
 能力じゃなくて、「そこにいてくれてありがとう」「見守ってくれていてありがとう」という役割。そういう、能力ではない貢献、献身について、もっと考えていかないといけないなと思いました。能力という考え方を封じたときに、そこに何が見えてくるのかということですよね。

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プロフィール

勅使川原真衣×近内悠太

勅使川原真衣(てしがわら まい)

1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)がある。

近内悠太(ちかうち ゆうた)

教育者、哲学研究者。統合型学習塾「知窓学舎」講師。著書『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicksパブリッシング刊)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。近刊に『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』(晶文社)がある。近内悠太WEBサイト https://www.chikauchi.jp

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