「自治」を求める闘いがアメリカでも始まっている

大袈裟太郎のアメリカ現地レポート②ミネアポリス
大袈裟太郎

 ミネアポリスの陽は長く、夜21時に夕暮れが訪れる。皆、思い思い自由にプロテスターは帰路に着く。取材を終えホテルに着いたのは21時半。そのタイミングで私のiPhoneが鳴り響き、緊急事態宣言のアラートを告げる。どうやら22時になるとまったく外出できなくなるらしい。そこから大慌てで食事先を探すも、ホテルのフロントでお手上げだと言われる。22時以降は外出しているだけで警察に逮捕される危険性があるとのこと。結局、渡米初日の夜は腹を空かせたまま、ホテルの1.5リットル5ドルの水を買い、それを飲みながらふて寝した。

毎夜、スマホに届く緊急事態宣言のアラート

 朝起きてテレビをつける。CNNは「AMERICAN CRISIS」 と題してこのBLMプロテストについて連日連夜、報じている。テレビの中に写っているジョージ・フロイド氏の追悼集会は歩いて行ける距離だった。

 滝のように溢れる音楽とスピーチ。数千人が詰めかけ、教会の外でそれを聞いている。白人も黒人もアジア系も関係なく喪に服す。ムスリムも集っている。黙々と怒りを堪えているのがわかる。少しのきっかけで火が着きそうな緊張感が漂うのを肌で感じとる。殺されたのは自分だったかもしれない。自分の家族、夫や妻や子どもだったかもしれない、ここにいる誰しもがそういう震えるような息苦しさを抱いている。

 ある黒人少年の写真を撮ろうとしたメディアの前に、黒人男性たちが立ち塞がるのを見た。その男性たちの毅然とした佇まいが心に残る。ここで起こっていることを消費してはいけない。単純な記号として扱ってはいけない。私は彼らのその行動から深く理解した。常に敬意を払わなければならない。これは取材者としては当たり前のことだが、こんな簡単なことも、日本でジャーナリストを名乗る人の背中を見ていると忘れそうになるのだ。

 Tシャツやマスク、帽子などに、「I can’t breathe」や「blacklivesmatters」とメッセージの施されたものを着ている人が多い。まだ事件から10日あまりでこういう表現というか多様な創作物が生み出されていることにも、アメリカらしさ、物質主義の反射神経のようなものを感じた。

 この追悼集会で最も驚いたことは徹頭徹尾、警察が不在だったことだ。フロイドさんの棺も警官ではなく、いわゆるバウンサー(クラブやフェスなどのボディガードチーム)が警備を担っていた。よく考えればこれは当然だった。警察によって殺された人物の棺に警察を触れさせるわけにはいかないのだ。警察権力には指一本触れさせないという強い意志の元、この追悼集会はすべて黒人コミュニティによる自治で取り仕切られていた。

運び出されるジョージ・フロイド氏の棺

ジョージ・フロイド氏の出棺を見守る人々

「自治」それがこのプロテストのひとつの鍵になってくる。この時すでにミネアポリス市民たちは、警察の解体を市に要求していたし、遠くシアトルでは「CHOP」の自治の試みが始まっていた。

 

「No Justice No Peace(公正でなければ平和はない!)」人々がそう叫ぶなかをジョージ・フロイド氏の棺は出棺した。彼の亡骸は故郷、ヒューストンへと向かった。それを見つめている、ある黒人男性の話を聞いた。

「暴動が起きなければ政府は聞く耳を持たなかった。しかし、今、ミネアポリスはその段階を終え、平和的に交渉する段階に入ったんだ。黒人は暴れるという植え付けられたイメージとの闘いなんだ。僕らは自らその罠にハマるわけにはいかない」

 怒りを堪えて自分を保ち、次の段階へ行こうとしている。とても穏やかな表情だった。彼らの冷静な姿勢に私は触れた。

筆者の質問に穏やかな表情で答えてくれた黒人男性

 さらに特筆すべきことがある。ジョージ・フロイドの殺害が5月25日、白人警官デレク・ショービンの逮捕が5月30日。この5日間の不自然なタイムラグにお気づきだろうか。この5日間に起こったのが,いわゆるミネアポリスの「暴動」である。この事実は重要だ。この暴動がなければ、事件を起こした警官が逮捕されなかった可能性すらあるのだ。彼らが逮捕されなかったことこそが、この「暴動」の直接的なきっかけであること。この事実さえも日本人には理解されていないと現場で痛切に感じた。

 

「暴動」の現場へ

 街がほぼ機能停止しているなか、先週の暴動で燃えた警察署へ向かった。フロイド氏を圧殺した警官が所属していた警察署だ。

https://twitter.com/CalebJHull/status/1266214307588706304?s=20

 

 街の中心地から、炎上した警察署まで歩いて向かった。2時間ほど歩きながら、街のグラデーションの変化について見つめた。ホテルがある中心地は、かなり掃除が行き届いており治安の良さを感じたが、30分ほど歩くと徐々に路上にゴミが増えていく。白人と黒人が入り交じる地域から、黒人が多くなる地域になると、街の空気は荒んでいるように感じられて、これは夜はとても歩けないなという感覚があった。タバコをくれよ。金をくれよと話しかけてくる人も多い。そういう人々は、このプロテストについて質問してもまったく無関心だ。道端で叫んだりするものも多くなってくる。白人のホームレスにタバコをせがまれ、断ると、FUCK!と叫ばれた。理不尽だし、不快だった。

 ミネアポリスのいわゆるゲットー、貧困地域は元々ネイティブアメリカンの居留区だったようで、ところどころにその名残のトーテムポールなどがあるが、街全体をどんよりと包む退廃的な空気が物悲しく、空だけがやたらと青く感じた。ハイウェイの高架下を中心として、ホームレスたちがテントを張って小規模な「集落」を作っていた。全く話が通じないだろうなという暴力的なバイブスがあって、足早に逃れた。

 日本から見ると、プロテストの現場が危険だという印象だろうが、私が見たミネアポリスは、プロテストの現場には人権感覚のある安全な人が集い。それ以外の場所の方が危険で治安が悪いという印象だった。諦めという名の鎖、いわゆる学習性無気力に囚われた人々は、日本だけじゃなくアメリカにも多く存在すると知った。

 

 そこから電車に乗りひと駅いくと、炎上した警察署付近に着く。そのブロック一帯にはまだ焦げた匂いが充満していた。ジョージ・フロイド氏を殺害した白人警官デレク・ショービンが所属していた第3管区警察署を中心に、その一帯は震災でもあったかのごとく瓦礫の山だった。この世の果てのような救われぬ光景、しかし、そこにいる人々は不思議と笑顔だった。燃え残った建物の前で写真を撮る黒人の親子に話を聞いた。

「ここは間違いなく歴史的な場所だ。ここを子どもたちに見せる必要があると思った。これからの時代に悲劇を引き継がないために、燃えてしまったここから新しいものが始まる。ここはスタート地点だ」

 彼らはただの野次馬ではなかった。その先の景色をこの瓦礫の山に見出しているのだった。

もともとはなんの建物だったのだろう。完膚なきまでに燃え尽きていた。

暴動の現場で記念撮影をする家族づれ

 

 燃え残り、もぬけの殻になった警察署の横で、ハンバーガーを焼いている人たちに出会った。フリーフードだという。白人の親子と黒人青年だった。青年がハンバーガーを焼いてくれた。これがアメリカの味だぜ!と漫画じみたセリフを言って笑った。

焼け野原になった一帯でハンバーガーを焼く人々

 彼らは普段、非行に走る少年たちを更生させる取り組みをしており、最近はここを訪れる人々に無料でバーガーやホットドックを振る舞っている。この事件についての議論を深める場を作りたいのだと彼らは言った。「良い部分も悪い部分も含め、現実を受け止めてほしい。議論はそこから始まる」と言う彼らの言葉から、私はアメリカの良心のようなものを感じた。

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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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