デレク・ショービンの過去と警察組合長、ボブ・クロール
事件を起こした白人警官デレク・ショービンの経歴が少しづつ明るみになり始める。ショービンは18年間の勤務中に18回の職権濫用報告があり、そのうち2回は懲戒処分となっている(内容は侮辱的な口調、中傷)。また、マイノリティ人種に対する銃撃には3回関与しており、1名が死亡している。
今回の圧殺事件がヘイトクライムである可能性も指摘される。ショービンが非番時に勤務していたナイトクラブで、有色人種を相手に過剰警備をして催涙スプレーを吹きかけた過去があることも、クラブ経営者によって明らかにされた(ショービンの妻がアジア系のモン族出身であることから、ヘイトクライム説を否定する声もあるが、検証が必要だ。ちなみに妻は事件後、離婚を申し立てている)。
今回の事件で彼らの逮捕までに時間がかかったことは先ほど触れたが、このような素行不良の警官がなぜ野放しになっているのか? 裁かれていないのか? それは警察の労働組合(ユニオン)が強大な利権集団と化してることに元凶があることが取材でわかってきた。ミネアポリスの警察組合の組合長、ボブ・クロールの存在は極めて重要だ。
このボブ・クロールは過去に人種、同性愛者、女性に対する差別発言を繰り返し、同僚からも告発され、白人至上主義者だと目されている。そしてすでに彼は昨年10月にTwitter上でトランプ大統領から「極左」市長と闘う人物として名指しで称賛されていた事実がある。
つまり、これは警官個人の犯罪である以上に、警察の組織構造の腐敗の問題なのだ。個人の腐敗を看過する構造の問題なのである。ミネアポリスを始め、全米で今、多くのプロテスターが警察の予算削減や警察の解体を求めている背景にはこのような問題があるのだ。
プロテスターたちは、警察のいない街を作ろうなどと非現実な主張をしているわけではない。警察を一度、解体し、現行の腐敗した利権構造を改めようと訴えているのだ。これは香港のプロテスターが警察解体を叫ぶ構造とも似通っているし、沖縄の米軍犯罪にまつわる問題とも酷似してくる。
よく沖縄の米軍擁護派から「良い米兵もいる」などという言葉が投げかけられるがこれは論点ずらしにすぎない。たとえ「良い人間」であっても、罪が裁かれづらい構造の中では、腐敗してしまうことが問題なのだ。
沖縄の米兵のなかに「ヒット・エンド・ラン」という隠語があることをご存知だろうか? これは任務を終え本国に帰還する直前ならば女性をレイプしても逃げきれる、という最悪の隠語だ。これが示すのは、米兵がこの裁かれぬ構造を自覚し、犯罪を行なっているという実態である。沖縄県警の元警部もこの隠語の存在について証言している。
個人の暴走を許す権力構造の腐敗。沖縄においては日米地位協定がこれに大きく影響する。アメリカの場合は、警察の労働組合の利権構造がその温床になってきたのだ(現在の日本でも、政権の権力者に近いことでレイプを刑事事件として裁かれず、民事裁判で事実認定が確定したケースがあることは読者ならお気づきであろう)。
そして警察解体の発表
6月9日、ミネアポリス市議会は警察組織を解体させる意向を発表し、市長もそれに同意した。プロテスターたちの声が行政を動かした瞬間だった。これは日本の縦割り型の警察構造から考えると理解し難いことだが、米国では警察の運用がそれぞれの市、自治体の権限の範疇として独立していることで、この決定が可能となったのだ。
この時期、シアトルをはじめ、全米の多くの土地でトランプ大統領の意向を拒否し、市民の抗議の権利を擁護する州知事や市長たちが現れた。州兵の出動の抑止も、そんな自治体の長たちの正当な行政手続きの権限として行われた。国家権力の暴走を自治体の長たちが跳ねつけ、市民を守ったのだ。
民主主義には、決定権の分散こそが必要不可欠なのだと思い知らされる事案だった。私は沖縄の翁長前知事、デニー知事の奮闘を思い起こした。さらには二重行政などと言って自治体の権限を消滅させる大阪維新の方法論がいかに民主主義にとって危険なのかも、アメリカを見つめることでより理解できた。
そして全米各地で自治体の長たちが奮闘するなか、首都であるワシントンD.C.だけは州知事がおらず、大統領の直轄で州軍の運用が決まる。これにより、D.C.ではプロテスターの真上に米軍ヘリを飛ばすなど異常な公権乱用が露わになっていた。私は次の取材先をワシントンD.C.に定めた。
Military helicopters flying dangerously low over crowds in Washington, DC pic.twitter.com/KmjMhRjCY1
— Michael Pegram (@MichaelNBC12) June 2, 2020
再び殺害現場へ
ミネアポリスを離れる間際に、私はもう一度ジョージ・フロイド殺害現場を訪れた。連日の暑さのなか、人々はたえずこの場所を訪れ、祈りの場として自治を守っていた。生配信しているiPhoneが熱暴走で何度も落ちるほどの猛暑だった。フリードリンクのクーラーボックスの氷水にそのままiPhoneを入れて冷やすと,それを見た黒人女性が目を丸くした。一瞬、怒られるかな?と思ったが、彼女は「You are so smart!」あなたは賢いね!と笑った。
悲しみの向こう側にうっすらと、警察解体が発表されたことによる安堵感や肯定感が宿っている気がした。現場のすぐ横で水遊びをしてはしゃぐ子どもたちの笑顔のなかに、微かな希望を見る。ここに集う人々が守りたいものはなんなのか? それを確認できた。過度なイデオロギーの介在は人間から自由を奪う。しかし、ここの人々はバランス良く地道に歩んでいた。またきっとこの場所を訪れることをフロイド氏の肖像に約束し、ミネアポリスを後にした。
気づくと、この通りの名前はジョージ・フロイド・アベニューと書き換えられていた。社会はひとつずつ、小さなことから変わっていくのだと私はその時、実感した。
取材・文・写真/大袈裟太郎=猪股東吾
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