広い道路にかかる長い歩道橋の下に老人が立っている。長い間立っていた。背は、私より低い。
歳は私より上であろうか。右手に杖を持ち、反対の手には、この日の夕食であろうコンビニの袋をぶら下げている。四角い形だけが透けてみえる。
階段を上るのをためらっているのか。白い半袖のシャツにベージュのズボン。
午前中には雨が降っていたから、歩道橋の階段も手すりも濡れている。
弁当を杖を持つ右手に持ち替えた。
私は信号が変わったので、アクセルを踏んで、左にハンドルを切った。ツバのある帽子の下から老人の顔が見えた。
直(すなお)、横一文字の濃い眉、その奥にあの静かな瞳があった。
直(すなお)、いやそんなはずはない。奴はもう何年も前に死んでしまったのだから。
ここに一枚の写真がある。五十二年前、京都に修学旅行に行った際に撮られたものだ。
場所は嵐山近く、鴨川辺りだったと思うが、確かではない。
白黒の写真には、斜めになった堤防のような場所に、八人の高校生が同じポーズで立っている。坂に沿って、左足をまっすぐ、右足はくの字に曲げて、そろって右手を皆、腰に当てている。
寒かったのか、コートを着ている者が二名、残りは学生服である。
坂の一番上が岡田、次に私がいる。まだメガネをかけていない。長田、小林、日向(ひゅうが)、太田直(すなお)、妹尾(せのお)、大谷。
高校二年C組の、あまり頭の出来のよくない連中である。
このうち、三人はもうこの世にいない。
一人は今年の春、病に倒れ、入院している。回復の可能性は低いと聞いた。
私たちのクラスは、男女、四十人。当時は、一クラス五十人、六十人が普通であったから、かなり特殊だったのかもしれない。
二十人は女子だから、残りの男子のうちの八人が、この写真に並ぶボンクラ。担任の森島先生は、かなり苦労されたと思う。バイオリンが趣味の英語の先生で、一日四時間も弾いているという噂がたった。
学校は中高一貫教育で、運動会もまとめて行う。我々C組の旗は赤色で、何かのデモの時、先生にあの大きな赤旗を貸してくれないかと言われた記憶がある。
その先生も、もうこの世にはおられない。私たちが卒業した後、定年退職され、富士山近くの山小屋に居を移し、生涯を閉じられたと聞いた。
卒業の時の別れの挨拶は五十二年たった今でも覚えている。
「短いのでよく聞いてください」と断った後、「サヨナラ」とだけ述べられた。
職業に徹した、とても良い先生であった。
連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。
プロフィール
おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。