エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館……。パリの名所と聞いて、何処を思い浮かべるだろうか。もし、そこにノートルダム大聖堂が欠落していたら、大きな違和感を抱くだろう。
そのノートルダムが燃えたというニュースは、祈りを捧げる人々の姿や、文化人たちが嘆き悲しむ数多くの声とともに、記憶に新しいはずだ。だが他方で、火災はフランスに静かな、しかし決して小さくない波紋を呼んでいる。
パリでチェコ文学を学ぶ気鋭の研究者が、その日、目にした光景から波紋の意味を考える。
人間は石よりも重要であるべきだ
ジレ・ジョーヌ、すなわち「黄色いベスト」運動は、現フランス政権が発表した自動車燃料税の引き上げ反対を機縁とした抗議活動だ。今ではだいぶ規模が縮小しているものの、マクロン政権のさまざまな問題に対する反政府デモへと発展したこの運動は、一時(少なくとも昨年12月のシャンゼリゼ暴動まで)は国民の4分の3の支持を得ていた。第二次大戦後に起きたフランスのデモのなかでもっとも長期に渡るものとされ、生活に苦しむ庶民層による階級闘争的な側面が強い。5月1日のメーデーには、フランス全土で16万4千人がこのデモに参加した。
4月20日。ノートルダム火災が起きた週の土曜日、事件に深い悲しみを寄せる者も多いなか、ジレ・ジョーヌの抗議者のひとりはこう述べた。「ノートルダムで起こったことは大きな悲劇だと思うが、人間は石よりも重要であるべきだ。」ルイ・ヴィトンやグッチ、イヴ・サンローラン、バレンシアガといった有名企業の株主らが矢継ばやに、総額でおよそ10億ユーロの巨額の寄付を申し出たことを受けての発言である。
おなじような意見は知識人の側からも聞かれた。とくに印象深いのは、オリヴィエ・プリオル氏のものである。フランスの作家で哲学者でもある氏はツイッターで、「ヴィクトル・ユゴーは、ノートルダム大聖堂を救おうとするすべての寛大な寄付者に感謝する。そして彼ら寄付者には、レ・ミゼラブル[貧しい人々]にも同じことをしてやるよう提案する」と書いた。ユゴーの代表作二点を念頭に置いた皮肉だが、多くの人がこれをSNS上でシェアした。
フランスの、ヨーロッパの歴史を象徴するノートルダム大聖堂を襲った火災。またたく間に世界中へ伝わった痛ましい悲劇の報せが、思わぬ波紋を呼んでいる。「エリート」と「庶民」、そこには、パリのみならず世界が抱える深い断絶が浮かび上がっていた……。パリに学ぶ若き中欧文学研究者が捉えた「ノートルダムが燃えた日」とは。
プロフィール
1988年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。ミラン・クンデラを中心に、チェコと中東欧の文学を研究中。論文「亡命期のクンデラと世界文学」(『れにくさ』第8号、2018年)、「偶然性と運命」(『スラブ学論集』第20号、2017年)、エッセー風短篇「中二階の風景」(『シンフォニカ』第2号、2016年)、留学記「中空プラハ」(http://midair-prague.blogspot.com)など。