近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。
同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。
これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く③
北朝鮮を危険視して感情を高ぶらせるより、
向き合って話し合うことの大切さ
――それにしても、アメリカ軍政とともに民衆を虐殺した軍事政権の韓国が現在は民主化を果たし、当初は正当性を持っていたかに見えた北朝鮮が3代世襲の政治体制、地球上で最も特異な独裁体制のひとつになってしまったというのは皮肉というか、歴史というのは本当にわからないものですね。
金時鐘 もちろん北にしてみれば、アメリカ帝国主義が南に駐屯し、北を侵攻しようとしているから、それに対する応戦体制を維持することは、当然の防衛対策ということになりはします。それだけに一触即発の危機は北の核ミサイル実験とも絡んで、日々緊張の度合いを増してもいます。ことのついでに言うと、核開発の問題に関する限り、北の言い分にも一理はあると私はずいぶん前から申しあげてきました。70年近くも経っている休戦協定を平和協定に結び直し、アメリカが北を攻めないという保証が得られれば、自分たちが核武装する理由など何もないんだと、これは金日成(キム・イルソン)が生存時から言い続けてきた北の主張です。
ところがアメリカと韓国はチームスピリット(1976年からはじまった米韓合同の軍事演習)をはじめとする大規模な軍事訓練を繰り返し、原子力空母や潜水艦まで動員し、ついには北のトップの「斬首作戦」などまで公言しはじめている。それは向こうだって全身ハリネズミになって身構えざるを得ないでしょう。それを背後で支える日本にしても、北からすれば最たる敵対国です。しかし、その北の金王家体制はもう10年ももたないだろうと、1990年代後半の世界中が思っていましたね。おびただしい数の餓死者が出たと伝えられ、いずれは自滅する、崩壊すると広く思われてきた。
――冷戦体制が終焉を迎え、旧ソ連などの支援を失った北朝鮮は1990年代、水害や干ばつなども重なって深刻な食糧危機に見舞われました。いわゆる「苦難の行軍」などと呼ばれた時期ですね。
金時鐘 だから当時はアメリカも日本も、放っておけば潰れるとみんな思っていたのです。でも、そう簡単に潰れるもんじゃない。一定以上の特権階級の国民が存在している限り、独裁特権政権は潰れませんよ。ですから、日本が拉致問題でナショナリズムを激化させるようなことばかりせず、逆に国交正常化に関する話し合いをしようと真剣に提案すれば、北はすぐに飛びつきますよ。日本はそういうことを提案できる国でもあるんです。
――そうですね。日本にとっても先の戦争の処理が済んでいない外交的な戦後の宿題が主に2つあって、ひとつはロシアとの間の平和条約締結、もうひとつは北朝鮮との国交正常化ですからね。
金時鐘 韓国との間は一応、1965年に条約を結びました。しかし、北朝鮮だけはそのままの状態です。断言しますが、北は圧力だけでは絶対に潰れません。ただし、日本と国交正常化の話が進んででも行けば、必ず風穴があきます。
――風穴、ですか。
金時鐘 ええ。北の市民の、北の同胞たちの最大の不幸は、政権というものが民衆の意志と動向によって定まるのだというのを知らないことです。政権とは特権を持つ者が握り、民衆はそれに従わざるを得ないのだと思い込まされてしまっている。そういう人びとがいま、孫の世代になって成人しているわけです。これは非常に厄介なことです。ただし、日本との関係修復の話し合いが具体的にはじまれば、必ず風穴があいてくると思います。日本との間の市民の往来がはじまり、さまざまなモノや情報が少しずつでも入るようになれば、テレビのチャンネル規制やラジオのメモリ規制などもできなくなってくる。
しかも北は慢性的に外貨が枯渇しています。日本と韓国との間では日韓基本条約によって経済協力資金などの名目で有償2億、無償3億、計5億ドルが日本から支払われました。北朝鮮もそれ相応の賠償を当然もらえるものと確信していますから、日本から本気で提案があれば必ず乗ってきます。それが強固な体制の風穴になり得る。だから日本の国民にも知ってほしいんです。北を敵視し、危険視して感情を高ぶらせるより、向き合って話し合うことの大切さを。
――現に韓国は民主化を果たしたわけですからね。ただ、拉致問題などを機に激昂し、排他や不寛容の風潮が強まる現在の日本が現実に舵を切れるかどうか……。
金時鐘 繰り返しになりますが、拉致などという本当に愚かな国家犯罪を私は絶対に許しません。断罪します。しかし、そこには私の秘めた願いも同時に込められているんです。
――どういうことですか。
金時鐘 10数名、あるいは数十名あるかどうかの拉致被害の問題で、日本の国民感情は列島がゆらぐほどに激昂したわけですね。私も気持ちはわかります。ならば、そこでやはり冷静に考えてほしい。北の人びとにとってみれば、つまり朝鮮民族にとってみれば、かつての日本に200万人近い強制徴用、強制労働を強いられた。これもやはり教科書的な数字をとって70万人だったとしても、日本人が被っている拉致被害の何百倍以上の悲嘆、憤慨、悲憤を抱えている。この問題と拉致問題を対置し、相殺するなどという発想を私は断固拒絶すると申しあげましたが、それほど大きな悲嘆、憤慨、悲憤を朝鮮民族が抱えていることには同時に思いを致してほしい。私の秘めた願いとは、まさにそこにあります。
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
金時鐘(キム・シジョン)
1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。