韓国ドラマ・映画と北朝鮮――映画『南部軍』(1990)からドラマ『愛の不時着』(2019)まで (2)
男の友情を南北関係に重ねる、パワワードとしての「ヒョン(兄)」
ところでこの原稿を書くにあたって、20年ぶりに映画『JSA』を見て、長らく自分が勘違いしていたことに気づいた。この映画の主役はソン・ガンホだと思いこんでいたのだが、そういうわけでなかったようだ。タイトルロールの名前の順番が出演者の序列だとするとソン・ガンホは3番目である。
たしかに20年前のことを思い出してみると、当時はまだソン・ガンホは今のようなトップスターではなかった。日本向けの記事を書く時などもは「大学路の小劇場出身の~」とか書いていたわけで、それに比べたらすでにテレビドラマなどでも活躍していたイ・ビョンホンの知名度の方が高かった。でも彼も序列2位。出演者の筆頭はソフィー役のイ・ヨンエだったのだ。念のためにエンドロールもしっかり見たが、やはり俳優の名前の順番は、イ・ヨンエ、イ・ビョンホン、ソン・ガンホ。そこにキム・テウとシン・ハギュンまでがトップ集団、それ以下の名前は小さくなっている。
それを見ながら、いろいろ思い出してきた。実はこの時のイ・ヨンエに関しては、いろいろな議論があった。私の周辺では「なに? まだお飾りが必要?」という声もあったが、男たちの間では逆に「男の友情物語に余分な存在」みたいな、今から思えばミソジニー的な言われ方もされていた。でも、当のパク・チャヌク監督としては、第一線で働くカッコいい女性主人公を描きたかったのだと思う。
しかし私自身もずっと勘違いしていたほど、とにかくこの映画のソン・ガンホの存在感が圧倒的だった。その彼のカリスマ性を支えたのは、韓国的な「男の友情」の中で重要な「ヒョン(兄)」という役回りだった。この映画の名シーンとして当時、韓国メディアで散々取り上げられたのは、韓国製のチョコパイを喜んで食べるソン・ガンホが、南への亡命を持ちかけられる場面だった。彼は大きなチョコパイをパクっと一口で飲み込んで、「俺の夢は我が共和国(北朝鮮)がいつか南朝鮮よりもうまいものを作ることだ」と豪語する(テレビのバラエティなどでもパロディが流行り、韓国でチョコパイブームが起きたほど)。ところで今回、20年ぶりに見直して、あらためて「なるほどね」と思ったのは、以下の会話である。
「ねえヒョン(兄貴)、ヒョンと呼んでもいいよね? 俺、ずっと兄貴が一人欲しかったんだ」
語りかける若い日のイ・ビョンホンは、「弟」らしさあふれる愛くるしい表情。それに対するソン・ガンホの答えがヤバい……。
「ああ。いつも同志、同志だから、ヒョンと呼ばれるのもいいな」
ヤバいというのは、今風の「素敵だ!」と本来の「危険だ!」という両方の意味だ。ここは南北間の兵士の友情が成立する瞬間で、マッチョな韓国男性にとっては胸キュン場面なのだが、前回書いたように「ヒョン(兄)」は北朝鮮では完全なNGワード、金正恩委員長によれば「変態的な傀儡言葉」である。
この映画は正式ルートで北朝鮮に輸出された最初の韓国映画になったというが、当時の北朝鮮のリーダーである金正日総書記(金正恩委員長のお父さん)はこの映画を見て怒ったりしなかったのだろうか?
その心配は無用だった。むしろ、その後に伝えられたところによれば、金総書記はこの映画がたいそう気に入ったそうである。
それはそうだろう。だって、この映画の中で一番格好いいのは北朝鮮兵士であるソン・ガンホなのだから。彼は常に勇敢だったし、しかも決して祖国を裏切らない。北朝鮮にとって嫌な映画ではないだろう。そもそもパク・チャヌク監督が心配したのは、韓国の側だった。
「誰かが国家保安法でしょっぴかれるかもしれないと、不安の中で映画を制作しました。それが突然、南北共同宣言で融和ムードになって……」(「シネ21」2017年6月)
http://www.cine21.com/news/view/?mag_id=87433
パク監督は公開当時にも、また後の対談やインタビューなどでも、よくこんな風に話していた。.
確かに北朝鮮兵士が「兄」で韓国兵士を「弟」とするような映画のつくりは、時期がずれたら問題になったかもしれない。韓国では長らく北朝鮮の体制や共産主義を賛美することは法的に禁じられてきた。独裁政権時代なら、それは国家反逆罪に等しい。1963年生まれのパク・チャヌク監督は、その厳しさを知る世代である。
韓国の人々が自らの力で民主化を実現させ、言論や表現の自由を手にしたのは1987年、パク・チャヌク監督が24歳の時だった。その時、ソン・ガンホ20歳、イ・ビョンホン17歳。それぞれの場所で、時代の変化に胸をワクワクさせていたのではないだろうか。
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。