ニッポン継ぎ人巡礼 第3回

世代を超えて若者をも魅了する、石見神楽の世界

甲斐かおり

尋常ではない熱量と人生をかけて

石見には今も社中が150近く存在し、毎週のようにどこかで上演されている。日本全国見渡しても、そんな芸能はほかに見当たらない。

高齢化、後継者不足で将来が危ぶまれる伝統文化が多いなかで、石見神楽には自ら関わりたいと参加する若い人が後を絶たない。

舞い手は、みな本業を別にもつごく一般の人たち。水道屋もいれば会社員も、役場の職員も畳屋の社長もいる。プロの神楽の舞手は存在しない。

舞を披露する機会もたくさんある。秋祭りなど神社の宮祭りで舞う「奉納神楽」が、神楽を舞う本場。地元の社中だけでなく、よそから神楽団を招くことも多い。理由は「一つでは飽きる。色々見たいから」だそうだ。

上演の機会はほかにも色々あって、観光客向けの定期公演、旅館に呼ばれて舞う出張神楽、敬老会などの地元のイベント、社中が一斉に集まる共演大会も年に何度か開催される。

神社や催しの主催者から、社中には数万円のギャラが支払われるが、衣装や道具の直しなどの維持費に消えて、一人一人の舞子にお金が渡ることはほぼない。

つまり、舞子も裏方もすべてが完全無償、ボランティア。それでも関わる多くの人たちが、尋常ではない熱量と人生の大半をこの芸能にかけて、楽しんでいるのである。

舞台裏では衣装や面をつけて準備が進められている


浜田を中心に進化した石見神楽

なぜそれほどまでに石見神楽は皆が愛し、夢中になる文化たりえるのだろう? 取材を始めたものの、一時暗礁に乗り上げたのは、「舞手の目指すところ」が、一度や二度、神楽を見ただけの素人では皆目見当がつかないからだった。

たとえばスポーツなら、鍛錬して強くなり、他者に勝つことで優位性を証明していく。第三者にもわかりやすく勝敗が決まる。あるいは草野球のように、仲間と楽しむための趣味もあるだろう。だが石見神楽では共演大会はあっても、競うことはない。一方で、ただ楽しむにしては、長く冷めない夢を追いかけているような熱中ぶりを、多くの人が見せる気がしたのだ。

話を聞いていくと、どうやら舞手には「ああいう風に舞えたら」という心の中のレジェンドがいて、口には出さずとも、自己研鑽する目標のようなものが存在するらしかった。

そもそも石見神楽とはいったい何なのか。
まず石見地方とは島根県の西部、益田市、浜田市、江津市、大田市の一部および川本町、邑南町、美郷町、津和野町、吉賀町を含む4市5町を指す。

石見神楽がどのように始まったかははっきりしないが、もとは神主や修験者などの神職によって、祭礼の神事の合間に舞われるものだった。原型は、広島との県境の山間部に残る「大元神楽」といわれている(*2)。

それが明治時代の神職演舞禁止令により、神職が神楽を舞うことが禁じられると、一般庶民が宮司に教わって舞う習慣が広まった。この時期に集落の名を冠する社中が多く誕生し、今の社中につながっている。

舞手が一般大衆になると、新しい試みを取り入れる動きが活発化した。

まずはテンポ。もともと囃子には、ゆったりした六調子神楽が普及していたが、より早く、動きも活発な八調子が好まれて広まった(*3)。

そしてお面。木彫りの面から、より軽い石州和紙のお面がつくられ、表情もより豊かなものになった。

さらに大正以降、衣装も、金糸銀糸をふんだんに使った、歌舞伎の衣装のような、豪華できらびやかな刺繍ものが誕生する。

何より画期的だったのが蛇胴だ。これは、植田菊市さんという、今「植田蛇胴製作所」を営む植田倫吉さんの祖父にあたる方が明治30年代に提灯をもとに考案したもので、竹ヒゴを輪にして和紙でつなぐ。アコーディオンのようなジャバラ型で、17メートルと長い胴を人が一人で動かせるようになった。この蛇が舞台を埋め尽くす迫力は前述の通りである。

そうした改革が浜田を中心に次々と起こったため、浜田は今の石見神楽の発祥の地ともいわれる(*4)。

(*2)大元神楽では今も6〜7年に一度、もしくは13年に一度式年礼祭が行われる。

(*3)「六調子」「八調子」とは、必ずしも六拍子、八拍子を意味するわけではなく、囃子のバチ数を早く多く打つのが八調子、ゆっくり打つのが六調子の意。同じ演目でも、舞の所作が違う。

(*4)広島にも石見から伝わった神楽があったが、広島では戦後、GHQの国家神道を廃止する「神道司令」を交わすために、神道色を排して「これは神事ではなく娯楽である」と主張し、新たな台本をつくった歴史がある。GHQの検閲は雪深い中国山地を超えて細かくは行き届かなかったらしく、石見にはあくまで「神楽」として残った。広島では神楽を舞う団体を「神楽団」と呼ぶのに対して、石見では今も「社中」と呼ぶのが、その表れでもある。

表情豊かな神楽面
金糸をふんだんに使った衣装は一着数百万円と高価
今も続く「細川衣装」店の先代が今のような衣装を考案した。写真は現在ここで働く小林龍希さん
一糸一糸手作業で刺繍される
次ページ 「休みの前の晩があいていたら恥ずかしい」
1 2 3 4 5 6
 第2回

プロフィール

甲斐かおり

フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティ、農業などの分野で昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿している。Yahoo!ニュース個人「小さな単位から始める、新しいローカル」。ダイヤモンド・オンライン「地方で生きる、ニューノーマルな暮らし方」。主な著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス・2019年)『暮らしをつくる~ものづくり作家に学ぶ、これからの生き方』(技術評論社・2017年)

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

世代を超えて若者をも魅了する、石見神楽の世界