ニッポン継ぎ人巡礼 第3回

世代を超えて若者をも魅了する、石見神楽の世界

甲斐かおり

つかむことのできる夢

「憧れの世界に、実際入り込める。それが石見神楽なんです。『この日、私は神となり、鬼となる』と言ってね。憧れの架空の世界に入り込んで、鬼をやり、神様をやり、達成感、充実感、満足感が得られる。お金儲けではなく、あくまで趣味ですが。人前でやってお客さんを喜ばせることができる贅沢な趣味。手の届く、つかむことのできる、夢なんですよ」

そう話すのは、かの都治社中で現在は顧問をつとめる林浩司さんだ。

林さん自身も、子どもの頃は、地元の神社に訪れる長澤をはじめとする浜田の神楽に親しんできた。よって23〜28歳の6年間、長澤社中に通い、ついてまわって修行したのだという。

「手取り足取り教えてもらうわけじゃないですよ。とにかくついて歩いて、よいと思う芸を盗んで帰りなさいと言われて。年50回ほどある長澤の公演を手伝いながら、自分の社中でも年30回の公演をこなしてました。松江へ仕事で出張して、その日の晩は長澤で一晩舞を手伝って、翌日は代表のところで朝ご飯をいただいてそのまままた仕事へ行ったり」

当時、長澤を中心でやっていた人たちは、やはり革新的だった。

「今のスサノオの衣装も、長澤社中が自分たちが舞いやすいように、神官さんの衣装を神楽流に仕立てたものです。侍烏帽子を使い始めたのも長澤。そんな革新的な長澤社中が使っている衣装を、お前が自分の社中で使うんだったら、貸してやるけぇ、もってって使えやって言ってくれてました」

そうして学んだ長澤流を、地元の都治社中に注いできた。父から都治の代表を引き継いだ際には、社中の様式を全面的に六調子から八調子に切り替える大きな方針転換をはかった。

都治社中の顧問、および「江津市石見神楽連絡協議会」会長の林浩司さん

その後も独自にさまざまな改革をし続けて、都治社中は小林さんたちのような若い人たちの憧れの的になっていく。

もう一つ、林さんの功績で大きいのは「大江山」という演目の台本、立ち回りや衣装などの演出含めて、石見神楽の新たな創作神楽を生み出したことだ。

「平成に入って、ほかの社中でも創作神楽が増えました。今後、石見神楽として定着するかどうかが、創作神楽の課題だと思います」

初めてこの大江山を披露したとき、長澤社中の当時の師匠が「ようやったな、浩ちゃん。あれだけのもんをようつくった」と褒めてくれたのが忘れられないという。

長澤から都治へ。そしてその都治を今度は温泉津舞子連中など若い社中が目指している。そんな風に、神楽の流儀は、浜田、江津、大田などの地域を超えて、石見のなかで脈々と受け継がれている。

「大江山」で使われるお面。
都治社中顧問の林さん(左)と、今は都治社中の代表を務める長男の林史浩さん(右)


「お前なりの舞を舞え」

果たして、うまい舞とはいったいどんな舞なのか?「口に出してはよう説明せん」と長澤社中の会長、長冨幸男さんは言う。

舞を始めて2〜3年目からようやく見えてくるもので、言葉で説明できるようなものではないらしい。

そんな長冨さんにも、「ああ舞えたらいいな」と思う人がいたという。

「自分としては二人、先輩に上手な人がおんさった。でもなかなか、練習してもあがな形にならんのよ。体付きも違えば性格も違う。同じようには舞えんのです。そやけ、その人なりの形を見出さんといかん」

温泉津の大門さんも、ある舞手に教えを受けた時、こう言われたそうだ。

「あんたはあんたの舞をすればいいんじゃ。わしになろうと思っても無理じゃと。姿形も違うし、それはその人なりに習得してきた見せ方があって、結果美しく見えている。結局自分自身で獲得していくしかないものなんだなと」

そこが、神楽を舞う人たちにとって難しいところでもあり、奥深く面白いところでもあるのだろう。
再び、長冨さんは言う。

「先輩からこげな風に言われるんです。『ええか、よお見とけよ、よお見とけよ。いま衣装つけてわしが舞うけぇな』って。それだけです」

それでも、うまい舞とは何かとしつこく食い下がると、とつとつと教えてくれた。足元と姿勢をまずは見る。うまい人は、動きと動きの境目がきりっとしていてメリハリがある。

また、複数人出ている時に、舞のしくち(であいがしら)は合わないと不細工に見える。だがロボットのように揃いすぎるとまた面白くない。だが一番大事なんは……、と長冨さんは言葉を継いだ。

「その役になりきること。想像上の人物やけど、役に入ることです。私も、衣装をつける時、必ずいっぺん、正面から面を見ます。こう、傾けたりしてね、役に向き合う。すると毎回同じ面なんやけど、見るたびに違う。そしたら舞も変わるんです、人間の五感いうのは不思議なもんで」

最後に、長澤の先代、亀谷博幸さんがよく言っていたという言葉を教えてくれた。

長冨さんは酒の入った盃をもつ手真似をして、それを口元までもっていく。

「たとえばこう、お客さんが酒を飲もうとしてここまで盃を持ってきて、飲もうとするんやけど、手が止まる。舞から目が離せんようになって、飲みたい酒が口元で止まる。お客さんがあげな格好になるような舞を舞えと。亀谷さんがいつも言いよった」

そしてそれもやはり「お前なりの舞で」ということなのだと、長冨さんは言う。

子供も舞台裏で衣装をつけ、面をつけて一人前に役を受け持つ


“生”を感じさせてくれる芸能

石見神楽とは何なのか。一言で言い表すのは、やはり難しい。だが、なぜここまで広く受け継がれているのか?の答えは、いくつか見えてきた気がする。

やっている人たちはこの芸を、「伝統」であるとか「守ろう」とは思っていない。ただただ夢中になって楽しんでやっている。神楽を中心に集い、練習し、喧嘩したり励まし合いながら舞う。日常の中に神楽がある。

守るわけじゃないので、「変えること」をいとわない。指定文化財などの保護対象ではないため、新しいことができると言った人がいた。毎回同じ演目で、同じストーリーを演じても、150近くの社中があれば個性があり、みんな違う。

年配者が自分の考えや流儀、作法を下の世代に押しつけないため、若い人たちが変革し、時代に応じた魅力ある文化に昇華していく。同時に若手が神楽の歴史を尊重し、先人への尊敬の念をもっている。

そして何より、神楽の上演が、見る側も巻き込んだ“一期一会”の場であることだ。音楽や演劇などのライブと同じ感覚かもしれない。「一番前のお客さんにふれるくらいの距離感で、一体感が生まれるのが醍醐味」と日高さんは語っていた。客席からの野次は大歓迎。酔った客を舞台に上げることもあり、地元の人が舞台にあがるとそれは盛り上がるという。

何十キロもある衣装を身につけて舞うのは、凄まじい体力と身体性を伴う。オンライン化の進む世の中で、舞い手にも観客にも、これほどまでに“生”を感じさせてくれる場は他にないのではないか。

“今を生きる”芸能だからこそ、いつまでも古びず、人びとを惹きつける魅力がある。

躍動感あふれる舞は、演じる者にも見る者にも生きる力強さを感じさせる。観客と距離が近い場の方が一体感が生まれる。

取材・文/甲斐かおり

参考文献:
『里神楽の成立に関する研究』石塚尊俊著(岩田書院)
『日本の民俗32 島根』石塚尊俊著(第一法規出版)
『民俗小事典神事と芸能』神田より子、俵木悟著(吉川弘文館)

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 第2回

プロフィール

甲斐かおり

フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティ、農業などの分野で昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿している。Yahoo!ニュース個人「小さな単位から始める、新しいローカル」。ダイヤモンド・オンライン「地方で生きる、ニューノーマルな暮らし方」。主な著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス・2019年)『暮らしをつくる~ものづくり作家に学ぶ、これからの生き方』(技術評論社・2017年)

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