「休みの前の晩があいていたら恥ずかしい」
「ここらで祭りといったら、神楽なんですわ。神楽がないと祭りにならん」と話すのは浜田の西村神楽社中の代表、日高均さんだ。
石見神楽の社中は、いま140〜150あり、そのうち60近くは浜田市にある。
「浜田は城下町なので、町割りが細かくて、集落ごとに神社がある。小さい祠も神社扱いにして祭りをするんです、神楽が見たいからですわ。
ただし市街地に暮らすのは、もとは町民や武士。神楽といえば山間部の農村で舞うものやったから、地元に神社はあっても社中がない場合も多くて、別の地域から社中を呼んで舞ってもらったんです」
この「やとい舞」の習慣が定着したことで、舞のうまい社中は呼ばれて他の地域へ出向くようになる。
「そこに競争が生まれます。『なんだ、あんな下手くそ呼びやがって』と言われれば、世話した人の面子がたたんから、やっぱり人気のある社中が呼ばれる。
今もワシら社中は、10月の祭りの盛んな時期に、休みの前の晩、土曜日が空いてたら恥ずかしいんですわ。どこからもお呼びがかからんかったいうことになるからです」
明治時代から100年、150年と続いてきた社中もあるが、有志で新たに新しい社中をつくる動きも活発だ。
西村神楽社中も、日高さんが20代の頃、1976年(昭和51年)に同世代の有志で立ち上げた。結成当初は「呼んでください」と頭を下げてまわっても、見たことのない舞は信用されない。そんな中、日高さんの義理の父が浜田の有力者で、神楽の世話役もしており、こう言ってくれたのだそうだ。
「お前さんらの舞を見せてもろうたがの、まだ上手じゃあない。でも野球でいうたら高校野球じゃな言われてね。見とるもんに伝わるもんがあるけぇ、雇うちゃるって」
要するに、まだ始めたばかりの若い人たちでやっているので上手ではないが、勢いがあって見られるということだ。今でこそ結成から50年近く経ち、西村神楽社中は海外遠征も行うほどの社中になっているが、当時はその申し出がとてもありがたかったという。
「同じ浜田でも港町、漁師町に呼んでもらえるようになると、社中として一人前と言われるんです。漁師さんらは目が肥えてて評価が率直。その分口が悪いし、うるさいんやけど。その人らに褒められたら間違いないってことですわ」
「人に見せる」神楽へ
さらに時代を遡り、戦前、よその地域へ舞に行ったという社中の話は面白かった。自動車などない時代。大八車といわれる人力荷車に一切合切の道具を乗せて、浜田から大田の方まで神楽を舞に出かけたという。もはや芸人一座、座中のようなものだ。話してくれたのは、明治から続く石見神楽の代表的な社中「長澤社中」の長冨幸男さんだった。
「わしらより前の世代の話ですわ。浜田から温泉津の辺りまで何日もかけて行くんじゃけぇ。一度行ったら、帰りに今日はこの村、明日はこっちと舞いながら、あっちこっち寄って帰ってくる。そやから一週間も十日もかかるんです。当時はまだ勤め人も少なかったから、農作業を母ちゃんや家のもんらに任せてな」
長冨さんが長澤社中に入ったのは、1969(昭和44)年、23歳の時だった。当時、長澤には優れた舞手が揃っており、勢いのある革新的な社中として注目されていた。
「自分の地域でしか舞わん社中と違って、よそに呼ばれる社中は、見とるもんが違うたかもしれんね。行った先でお客さんから色々要望が出るわけです。何言うとるか聞こえんとか、あれもやってくれとか。それに応えてマイクを導入したり、衣装も派手にしたり、新しいことを取り入れていった。和紙の神楽面も一番最初につこうたんは長澤やったと聞いてます」
「地元で舞って内輪で楽しむ」神楽から、「人に見せる」神楽へと変化するなかで、石見神楽は進化してきた。
そうした石見神楽が全国に披露されたのが、1970年に開催された大阪万博でのことだ。長冨さんが神楽を始めた翌年のことで、「その時は大した働きもできんかった」と振り返るが、長澤、有福、上府(かみこう)の三つの社中が出向いたこの万博は、今も石見神楽史上語り継がれる出来事になっている。当時何頭もの蛇が舞台に勢揃いした様は圧巻で、その後この蛇胴は全国各地から依頼のくる人気商品になる。
石見神楽は、観て面白いもの、舞って面白いものとして、発展していった。
プロフィール
フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティ、農業などの分野で昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿している。Yahoo!ニュース個人「小さな単位から始める、新しいローカル」。ダイヤモンド・オンライン「地方で生きる、ニューノーマルな暮らし方」。主な著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス・2019年)『暮らしをつくる~ものづくり作家に学ぶ、これからの生き方』(技術評論社・2017年)