遺魂伝 第5回 横尾忠則

魂がどこにあるかは僕にもわからないし、誰も知らない。それでも、魂はあります。

佐々木徹

僕は運命に従った生き方をしてきただけなんですよ

 その浄化という言葉で、とても驚いたことがあるんです。先日、母の七回忌の法事があったんですね。その法事も不参加を決め込んでいたのですが、叔母たちがどうしても出ろというので足を運んだわけです。法事ではなるべく兄と距離を取っていて、その後、親族が集まっての食事会があったんですけど、また絡まれると困るので、そのまま帰ろうとすると、今度は伯父たちが絶対に出ろと。仕方なく食事会場に行き、親戚連中と母の思い出話をしたときに、つい愚痴が出てしまったんです。

 母はボクが何かをするたびに「お兄ちゃんの迷惑になるようなことだけはするなと言い続けていたんですよ、兄のために生きているわけじゃないのに」……といった話をしていたら、いつの間にかボクの後ろに兄が立っていて、こう言ったんです。「それはすまなかった。その話はいま、初めて聞いた。知らなかったとはいえ、お前には申し訳ないことをした」と頭を下げたんですね。いやもう、驚天動地の驚きでした。あの兄がボクに謝るなんてことはありえないと思っていたので、絶句してしまったほどです。考えてみれば、兄も定年になり、憑き物が落ちたというか、何かが浄化されたのかもしれません。

「そうかもしれませんね。それをきっかけとして、お兄さんは霊的なもの、非物質的な世界に関心を持たれることになるのかもしれない。なんにせよ、さっきも言いましたけど、非常に興味深いですよ。兄と弟、お互いに合わせ鏡のようにお兄さんは常に弟を意識し、弟もまた拒絶しながらも意識はしている。その過程の中で反発したり、共鳴もする。やはり、あなたがた兄弟は産まれる前から向こうの世界でそういうふうに生きるように計画されていた気がします。いっそのこと、2人の関係をそのまま小説にしたらどうですか。面白いと思いますよ」

 イヤです(笑)。それはそうと、もう一度、ズレの話に戻したいのですけども、これまでの人生において、ボクは何かと公的なところと喧嘩ばかりしているんです。自治体や税務署、年金機構、銀行とか。それはきっと、公的な存在だった兄への嫌悪感が根本にあるせいだと思ったこともありますが、横尾さんが指摘したボクと周囲とのズレが、結局は公的機関との軋轢を引き起こしているのかもしれませんね。

「あなたの場合、そうね、ズレているから、とことん対立して戦うか、それともこっちの世界は唯物の世界で構成されているし、ルールもそういうふうに整備されているし、抗うのは無駄な抵抗だと思い諦めてしまうか。それでもマスコミ側の人間としては、社会のために対立してくれたほうがいいと思いますけどね」

 そういった戦いは、ボクのこっちの世界での修行になっているわけですね。

「対立することが修行になっているかどうかはわかりません。逆に、戦うことを諦めてしまうのも修行かもわかりませんよ。今はまだ、血気盛んだから対立していたほうが刺激もあり、面白いはずです。それが対立するだけ対立して、いくらがんばってもダメだとなったときに、諦めると思うんですよ。対立するって、とても疲れることですし、僕くらいの年齢になれば、自然と諦めます。とりあえず70歳になるまでは、まだまだ血気盛んですしね、戦えばいいんじゃないですか。そこまではやるだけやったほうがいいですよ」

 その延長線上でお聞きしますけども、どうにもボクの人生は、先ほども言いましたが、試練ばかりなんですよねえ。よく年配の方たちが生きることに悩み苦しむ若い人たちに「人生なんてものは、いいも悪いも半々。悪いことが続けば、次にいいことが起きる。それでチャラになるのが人生」とか言って慰めたりしますが、これってウソだとわかってきたんです。ボクの過去の日々は、悪いことばっか。残りの人生で、その膨大なマイナス分がチャラになるわけがない。そんなマイナスばかりの人生になってしまうのも、ボクの霊的ステージを上げるための宿命なのでしょうか。

「そうでしょうね。マイナスに囲まれているのが自分の人生、それこそが修行だと思ってしまえばいいじゃないですか。これからもマイナス要素と向き合っていくうちに、今まで以上に血気盛んになるかもわかりませんよ。それもまた、修行なんです」

 うわあ、今後のボクの人生、どうなっちゃうんだろう。苦労ばかり背負い込んで、少しも報われない気がするなあ。

「あなたのお話をうかがっていると、日頃から役所や税務署と対立してしまうのは、常に自分なりの正義感に駆られるせいで戦っているような気がします。本当はね、最終的には役所なり税務署の言うことを聞かなければいけないわけだから、そういうルールが現世では作られているから、文句はあっても従っちゃったほうがラクなんですよ。それでも、あなたは抗うことがマイナスになるとわかっていても対立してしまう。その曲げられない正義感が今のマスコミの仕事と繋がっているんでしょう。僕からすれば、さっきも言いましたように、これからも対立していてほしいですけどね。今だって、許せないことがいっぱいありますから。あなたには公的機関以外にも、自民党とかね、旧態依然の古い日本の体質と戦ってもらいたい」

 わかりました。それはそうと、横尾さんも血気盛んな時代があったのですか。

「ありましたけど、むしろ幼少期の頃ですかね。5歳くらいから8歳ぐらいまでだったと思います。逆に、成長するにつれ血気盛んではなくなりました。血気盛んといえば、東京に出てデザイン会社に入ったのですが、僕の周囲のデザイナーたちが激しかったですよね。みんなトップを目指す過程で、お互いにライバル意識を持って戦っていましたし。その点、僕は戦うという意識が希薄だったかもしれません。それでも希薄は希薄なりに戦ったことはありますけど、ほとんど勝っておらず、成功もしていないんです。むしろ周囲に従ったほうが何事もうまくいっていたような気がしますね。新書でも語りましたが、そもそも僕は美術学校なんかに行きたくなかったんですよ。郵便屋さんになりたかったの」

 ええ、そうでした。

「世間から見れば、郵便屋さんになるより美術学校に入学して芸術家になったほうが尊敬されるから、そちらのほうがいいと思いますよね。でも、僕は尊敬されるのが怖かったんですよ。つまり、尊敬されるということは、みんなの注目を浴びることになる。そうなると、そういった注目に対峙しなければいけない。だけど、対峙するほどの知性がないので、誤解を受けるかもしれませんけど、郵便屋さんになりたかったんです。郵便屋さんも立派な職業ですから。ところが、学校の校長先生から〝美術学校に行け〟と言われ、別に行きたくもないのにガリ勉させられて、それでいよいよ明日は試験日という段になって、今度は別の先生が〝受験しなくていい、帰りなさい〟と言ってくれたので、結局はその言葉通りに帰ってしまった。内心、助かったと思いましたけどね。間違って入学してしまったら最後、他の優秀な学生たちと戦わなきゃいけなくなるかもしれない。僕には、激しく戦う能力なんてなかったから、今でも先生の言うとおりに受験せずに帰って本当によかったと思っています。そういう意味では、僕は素直だけれども優柔不断でもあるし、わりと運命に従った生き方をしてきたんですよ」

法律や政策、こんなあやふやなものに振り回されちゃいけない

 あ、そうだ、いけない。冒頭からボクら兄弟の話に引っ張られちゃって、大事なことをお聞きしていなかった。これをお聞きするために、横尾さんに会いにきたわけでして。今回の新書の読みどころは、なんといっても「死後の世界から、こちらの世界を見てみる」という視点の持ち方だと思うんです。こちらから死後の世界はどういうものだろうかと想像したり、考えたりすることはあっても、向こうの世界から現世を見つめてみる試みは斬新だったんですね。そういった誰もが着眼しなかった、ハッとする逆転の発想は、どこから生まれてきたのでしょうか。

「いま、僕は運命に従う生き方をしてきたと言ったでしょう? その結果じゃないかなと思うんですよね。それ以外、ちょっと考えられない。これまで本当に運命に従ってきただけですし。なにせ養子で横尾家に招き入れられていますから。それも自分の意思で横尾家に入ったわけじゃない。僕の運命がそうなっていただけ。そこからはもう、何もかも運命に従っていただけ。逆転の発想にしても同じように、こういうふうに見てやろうとか、変わった視点を持ってやろうとか、そんなことは考えたこともなく、いつの間にか自然と見えていたというか」

 ああ、なるほど、なるほど。

「例えば、アートにしてもそうです。アートの最先端はこういう感じだから、それに対抗して自分が違うことを試みてみるってことはないです。でも、そうなってしまうこともあるんですよ。現在の芸術はコンセプチャルアートが主流なんですね。だけど、僕はコンセプトが嫌いなんです。だからといって、気負ってコンセプチャルをやっつけようなんて思っていないわけ。ただ、自分のやりたいようにやっているアートの手法が、ひとつの結果としてコンセプチャルをやっつけたことになってしまうこともある。繰り返しになりますけど、僕はその時々の運命に従うだけで、あれをこうしようとか、それをこうしたいとか、いちいちそんな面倒くさいことは考えないんですよね」

 その自分に与えられた運命に従うという話で思い出したのですが、コロナ感染症が蔓延したときに……そうそう、ちなみにコロナで非常事態宣言が発令された時期、横尾さんは何をしていらしたんですか。

「僕はね、小池都知事がステイホームしていなさいと言うから、外出もせず、アトリエに籠って絵ばかり描いていました。おかげで絵がたくさん描けたんですよね。ある意味、コロナさまさまですよ(笑)。これも社会的運命を僕が受け入れただけの話です。仮にコロナに感染していたら、僕には抵抗する力も能力もないし、それで死ななければならなくなったときは受け入れていたでしょうね。それが自分の運命だったと思ったはずです、きっと。本当はね、本来与えられた寿命を迎えて死にたいですよ。僕だってコロナで死にたくはないです。そう思う反面、もしかしたら、本来与えられた寿命がコロナ感染での死だったかもしれないと考えられるんですよね」

 話を戻しますけども、コロナが蔓延し、多くの罹患者が病院に運ばれ、医療現場が崩壊寸前の頃に、元厚労省の医系技官の方がコロナ感染症をテーマにしたテレビの討論番組で、こんな持論を述べていたんです。要約すると〝医療現場のICUは、ご高齢の患者さんたちでいっぱい。その年齢になれば、誰しもが持病を持ち、軽い風邪程度で死に至るケースもある。でも、いまは社会の情勢がそれを許さない。コロナに罹患し、病院に運ばれた高齢の患者さんは、たとえ末期のがんを患っていても、心臓が止まるまでは最先端の医療活動を続けている。もし、ご高齢の方が家で死にたいと思っていても、その願いが通じない今の社会情勢はおかしい〟。

 ボクは、この主張に一理あるなと思いました。振り返ってみると、あの頃の日本は医療ヒステリック状態だったのではないでしょうか。なにかもう、コロナ患者を見捨てる医師は人にあらずみたいな風潮でしたし。でも、入院されたご高齢の方の中には、ICUで酸素マスクを付けられるより、自宅で静かに死にたいと願った人もいたはずです。横尾さんのように、コロナに罹患したのも運命、その運命に従い、自分の意思で死を選択したいと考えた人もいたでしょう。そういった人の最後の願いさえ無視した、とにかく生き続けることが尊いと闇雲に定義する社会ってヘンですよ。

「ご自宅で静かに死を迎えたいと願っていた人たちは、今の社会の犠牲になってしまいましたよね。社会の言うとおりにする必要なんかないのに。社会の体制を作る国や政府は国民を統治したい場合に、あれこれといっぱい法律や政策を作る。あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけないって。だけれども、そういった政策に我々が影響を受けるのはおかしいです。だって、時代が変われば政策も変わってきますから。そんなあやふやなものに振り回されちゃいけないんですよ。思い出してください。戦時中は一億総玉砕で〝みな死になさい〟って言われていたんですからね」

 ええ。

「あの時代、誰も延命治療を受けていないですよ。そういうふうに時代が変われば、社会の体制も変わってきますし、悪だったものが善になったり、またその逆もあったりします。だからやっぱり、最終的に頼りになるのは自分の心であり、魂だと思います」

 時代、時代において、そのつど変わる政策によって右往左往させられる人が多いのは、たとえ時代が移り変わろうとも、押さえておかなければいけない生きることへの芯をしっかり押さえていないからではないですかね。

「そうですね。だと思います」

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 第4回 山田洋次

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完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦

プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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