遺魂伝 第4回 山田洋次

〝寅さん〟がいなくなって、日本人から喪われつつあるもの

佐々木徹

「この人の“魂”の話を今のうちに聞いておきたい!」という佐々木徹のインタビュー連載「遺魂伝」。第4回のゲストは、映画『男はつらいよ』シリーズなどで有名な、山田洋次監督である。

「寅さんみたいな大人がいなくなったことで、日本は生きづらくなった」という思いを、『男はつらいよ』の生みの親・山田さんにぶつけたところ、この映画に込めた思い、寅さん=渥美清さんの思い出、そして半世紀の間に日本で失われた大事なものが次々とあふれ出てきた。

1931年、大阪府生まれ。1961年、『二階の他人』でデビュー。『男はつらいよ』シリーズ、『幸福の黄色いハンカチ』『たそがれ清兵衛』など監督作品は90作を数える。最新作は『こんにちは、母さん』(吉永小百合・大泉洋主演)。デアゴスティーニより『男はつらいよ』DVDコレクションが発売中。

 映画監督、山田洋次との語らいは、僕の古びた思い出話から始まった。

 今から約半世紀以上前の初夏……。

 その日、朝から僕は母と手をつなぎ、葛飾区亀有の自宅から柴又に向かっていた。柴又の帝釈天の近くに、母の遠い親戚が住んでいたのだ。道中、母はうつむいたままで、顔を上げることをしなかった。たぶん、行き交う他人に、大きく腫れ、充血した右目を見られたくなかったのだろう。

 父は大工の棟梁で、酒さえ飲まなければ大人しい男だった。それが一滴でも酒が入ろうものなら、母を殴りつけた。父と母の間で寝ていた僕は、毎夜のように殴られ、吹っ飛ばされていた母をガタガタと震えながら見ていることしかできなかった。

 母は昭和の女だった。子供のためにと父の暴力に耐え続けていたのだと思う。しかし、その我慢も限界だったようで、将来的な身の振り方を柴又の親戚に相談するべく、幼かった僕の手を急かすように引っ張り続けていた。

 親戚の家の前に着くと、母はバッグの中から蝋石を取り出し、「これで遊んでいなさい」とだけ告げると、自分だけ家の中に入っていった。今から思えば、夫婦の生々しい惨状を経ての離婚話を、涙とともに子供には聞かせたくなかったに違いない。仕方なく僕はトボトボと帝釈天に向かって歩き出し、人が通っていなさそうな路地を見つけ、そこにしゃがみ込み、お気に入りの『サイボーグ009』の主人公、島村ジョーの顔を描いていた。

 その時だ。何かによって日差しが遮られたようになり、ふっと薄暗さに包まれた。しゃがみ込んだまま、ん? と顔を上げると、ひとりの男がウチワをパタパタさせながら、僕を見下ろしていた。

「おい、坊主! 今日は暑いな!!」

 それまで見知らぬ大人の男の人から声を掛けられたことなどなかった僕は、ただただ驚いてしまい、しゃがみ込んだまま固まってしまっていた。

 下から見上げる僕の怯えた視線に狼狽したのか、男はちょっと困った顔を浮かべ、逃げるようにスタスタと雪駄を鳴らし、路地の角を曲がっていった……。

「その男、寅さんだな」

――ええ。撮影の休憩時間に、ぷらっと散歩に出ていたんだと思います。

「子供がひとり、蝋石で道に何かを描いている。その姿に、寅さんは何かを感じたんじゃないかな。あなたが抱えていた、寂しさのようなものを。だから、声を掛けて慰めようとしたんだよ、寅さんは」

――そのことに気づいたのは、小学校の高学年になった頃でしたね。子供心に、あのヘンなおじさん、自分のことを心配してくれていたのかもしれないと。

「寅さんらしい」

――そういう経験があるものですから、僕にとって車寅次郎は、スクリーンの中の人ではないんです。現実に存在する、ヘンなおじさんなんですよね。新作が封切られるたびに劇場へと足を運んでいたのは、自分が知っているヘンなおじさんの近況を覗きにいくような感覚でしたよ。

「まあ、渥美さんはね、ああいう天才的な役者さんでしたから。優れた役者というのは洞察力にも非常に長けているし、瞬時に、あなたの心の裏側まで手に取るようにわかったんでしょう」

――寅さんが、そういうふうに声をかけてくれたからではないのですが、たまに道端で乳母車に乗っている赤ちゃんを見かけると、自然にデロデロバァ~と手を振ったりするんですよね。でも、先日、電車内で赤ちゃんが若いお父さんに抱っこされながら、ギャン泣きをしていたので、デロデロバァ~と手をヒラヒラさせたら、隣に立っていたお母さんらしき人がキッと僕を睨みつけたんです。ヘンなおじさんどころか、危ないおじさんだと思われたのかもしれません。

 ま、そのときばかりではなく、このところ、僕が赤ちゃんにデロデロバァ~しようとすると、困った顔をするお母さんや不機嫌に目をそらすママさんばかり。

「そうか……」

――今のお母さんたちは、他人に関わってほしくないんでしょうね、きっと。

「そうだろうねえ。東日本大震災の際、やたらと絆という言葉が使われていたけども、なんだか通り一遍だったような気がする。本来、そういうおせっかい焼きのことなんですよ、絆っていうのはね。例えば寅さんのように、ひとりでポツンと遊んでいる子供に声を掛けたり、ひとりでわけもなく泣いている子供に飴をあげたりね。そういった大人と子供の関係だけではなく、大人同士でもせっかく隣近所に住んでいるのに、お互いに交流がなかったりするでしょ? そんな無機質な関係ばかりなってしまったね、この半世紀で。

 私はね、最近思うんだけど、少しずつ、少しずつ、今の日本人はすごく寂しくなってきているんじゃないかな」

――本当に少しずつ、少しずつ、日本人が秘めていた、あったかい心のようなものが壊れ始めてきていますね。他人が失敗するとネットなどで容赦なく叩き、何かしでかすと自分のことは棚に上げ、揚げ足取りばかりして息苦しささえ感じる社会になっています。

 渥美さんがお亡く……いえ、とんと寅さんみたいな人を街で見かけなくなって以来、その傾向に拍車がかかっているのではないでしょうか。そんな自分にとって気に食わない人間を排除するような風潮もあり、ここはひとつ、ぜひとも山田監督と話がしたかったんです。寅さんを見かけなくなってから、日本人の魂の何が喪われつつあるのか。その結果、何を僕らは手放しつつあるのかを改めて車寅次郎というヘンなおじさんを通して考えてみたいんですよ。

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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