遺魂伝 第5回 横尾忠則

魂がどこにあるかは僕にもわからないし、誰も知らない。それでも、魂はあります。

佐々木徹

自分が何者かを知るために、僕は毎週病院に行きます

 それから今も話に出てきたのですが、コロナ以外でも、例えば末期のがん患者に延命治療を行なうじゃないですか。でも、放射線治療とか苦しいだけだし、個人が望めば、そのまま何もせず、死を受け入れる考え方というのも尊重されるべきだと思うんですよね。

「人はみな、カルマを抱えています」

 はい。

「そのカルマのせいで、病気になったり、生きづらくなったりするわけですよ。だからもし、ある人がカルマの結果、がんを発症した場合、今の社会体制では最先端治療でがんを治そうとします。だけど、その最先端の治療で完璧に治るんだったら、お世話になってもいいと思いますが、ほとんど治る見込みのない状態のがん患者に延命治療を施す必要はないと思いますね。その延命行為は、医学がその人のカルマに踏み込んでいるだけですし、乱暴な表現になりますが、ほっとけばいいんです」

 こういう話になると、決まって取り上げられる難題があります。ある人が交通事故に遭い、脳死状態に。体中にたくさんの管を付けられ、それでも心臓は動いている。果たして、この人は生きているのか、死んでいるのか。

「交通事故に遭った人の魂はね、すでに肉体にはなく、あっちの世界に行っているかもわかりませんよ」

 ボクもそうだと思います。

「そんな状態であるならば、魂が肉体の中にいる必要はないわけですから。人間の体の中には、霊体と幽体があるんですよ。他に精神と肉体ね。それで霊体と幽体、これはアストラル体とエーテル体と呼ばれていますガ、そのアストラル体、エーテル体はあまりに苦しいと向こうに行っちゃうんです。だから、肉体にはいない。肉体にいないということは、それを死と認めてもいいと思うんです」

 だけど……。

「だけど、医学では認められないから、呼吸が止まるまで、心臓が止まるまで生を維持しようとする。これが今の社会の通念なんですよね。生かし続けることが正しいことになっている」

 あるいは、美しいことだとされている。

「そういうことです。病院自体が唯物だからね。それが今の社会、医療のすべてに通用してしまっている」

 ボクはだから、身内に宣言しているんです。自分ががんに侵されても、治療は一切しない、拒否すると。とくに最近、先ほどの横尾さんの言葉ではありませんが、自分に与えられた運命に従おうと思っていて。がんになり、それがボクの生を奪うなら、そこが自分の寿命であり、自然な死だと思うんです。

「自分の死を、どう迎えるか。それを自分自身で決められるのは、すべての生き物に与えられている権利です。それに抵抗したって仕方がない。抵抗しようとしているのは医学だけですよ」

 いわば、人間だけなんですよね、抵抗しているのは。

「そうね」

 他の動物や植物は抗わずに自然の摂理に沿って、死を迎えていますから。

「僕はたくさんの猫を飼って、みんな死んでしまいましたけど、彼らは静かに死んでいきましたよ」

 ボクも犬や猫を飼っていましたが、彼らはわかっていたりするんですよね、自分の寿命を。死ぬ前日あたりになると、それらしい素振りをみせますしね。〝じゃあね、またね〟って感じで。

「しかも、苦しんだり、ギャーギャーわめかないですものね。わりと静かに死ぬ。生命の死って、そういうもんだと思いますよ」

 ですね。

「ただね、そうは言いながら、僕、病院は好きなんですけどね」

 えっ、病院好きなのですか。

「しょっちゅう、病院には行っています」

 どこが好きなんですか、病院の。

「例えば、自分が何者であるかと哲学的に考えますよね。その際、自分の周りに親しい哲学者やお坊さんがいれば、気軽に相談できますけど、いないんですよ。だから、病院に行くわけです。病院に行くと、僕が何者であるかがわかるんです。頭が悪い、心臓が悪い、胃が悪いとか。それが僕なんです。今も言ったように、病院自体が唯物的だし、体のチェックをするのも、ちょっと唯物的行為なんだけど、その唯物から肉体の変化と精神的変化がどこかで繋がっていると思うんですね。そのため、体中くまなくチェックするわけです。そのことによって、哲学者やお坊さんに何かを問いかけるのと同じ意義があると思っています。

 だいたい自分の肉体がどうなっているか、理解せずに生きていくのは不安じゃないですか。でも、自分の肉体の現状がわかれば、不安も多少は解消できますし、自分の存在も見えてくるんですよ。そういう意味で、病院には行っています。毎週、行っています。担当の先生と話をするだけですが」

 不思議なのは、このような話をもっと霊的なことを絡めて語れれば、もっと豊かな発想が生まれたり、展開が広がっていくと思うのですが、世間は嫌がる傾向にあります。どうして世間は霊的とか霊界という言葉を使うと嫌がるんでしょうね。

「以前、河合隼雄さん(心理学者、京都大学名誉教授、元文化庁長官)と一緒に仕事をしたときに、僕は【魂】という言葉を使ったんですよ。そうしたら、河合さんが〝横尾さんは魂という言葉を使えるからいいですね〟と言って。だから、僕は言ったんです。ユングだって魂と言っているし、使っている。ましてや、霊的な言葉も使う。それなのに、どうしてダメなんですかと。河合さんの答えは〝日本の学会がダメで、認めていないため、使えない〟とのことでしたね」

 たかが学会が?

「河合さんも、魂という言葉を使えなかったせいで、ある種の悩みはあったと思いますけどね。なにせ河合さんは学会というか、日本の知識人の中では非常に大きな存在だけに、仮に魂と口にしてしまった場合、相当な混乱が起きるでしょうし、それを危惧されていたと思います。結局のところ、河合隼雄が使えないんだから、今の社会では誰も使えなくて当然じゃないかといった風潮になっていますよね」

 それはでも、冷静に考えれば、仕方がないのかもしれません。魂は目に見えるものではありませんからね。こちらの世界では、うちの兄のように〝あるんだったら、目の前に出してみろ、証明してみせろ〟と子供の喧嘩のように言いまくる唯物的な人たちが多いし。

「唯物に縛られている人たちって、すべてを脳の中で判断しようとするんです。脳が心や精神、魂を持っていると言う人がいますけど、そんなのはウソですよ。魂がどこにあるのか、それは僕にもわからないし、知りません。誰も知らないです。それでも、魂はあります。限りなく肉体から離れたところにあるかもしれないし、もしかしたら、肉体の表面かもしれない」

 頭の中の支配が強くなりすぎると、そういうことを感じる力が弱まり、やがて消えていくのでしょうね。

「そうなの。感じるだけでいいんですよ」

 感じるといえば、思い出したことがあるんですが、数年前に白内障の手術をしたんです。当日、診察台に横になり、目に麻酔を点眼され、しばらく仰向けで動かずにいたんですけど、その時、確かにボクの左腕の上腕を優しくポンポンッと叩く感触があったんですね。少し上半身を起こし、周りを見渡してみても、誰もいない。で、その叩き方はどこか懐かしく、優しくて。それって、母が生前、ボクと会うたびにしていた仕草だったんです。とくに母と離れて暮らすようになってからは、どこかで待ち合わせしていたときなどに、ボクの姿を見つけると、母は小走りに近寄ってきて、言葉を交わすよりも先に、ボクの左腕をポンポンッと叩いていたんです。残念なことに、この話、誰も信じてくれないんですけどね。

「それはお母さんが、あなたのしていることをすべてお見通しだってこと。手術を前にして不安を抱えていたあなたを安心させようとポンポンしたんでしょう。ということは、あなたは霊的世界とコンタクトしていたことになります。本当は、こちらの世界にいる人すべてが霊的世界とコンタクトしているはずなんだけども、そんなことはあり得ないと頭で否定してしまうから、成立しないんですよ。なにせ、唯物的な人は何度も言いますが、目に見えないもの、科学で証明できないものは、この地上には存在しないって考え方ですから。僕も、その考え方を否定しません。僕はただ、唯心的な考え方を唯物の中に取り入れているだけのことなので。要は両方の考え方を持ち、生きているわけですね」

 唯物の人たちは片方でしか生きてないから、ちょっとつまらないですよね。

「面白くないと思いますよ。でも、唯心を持ち込んだら、それまで信じていた唯物の考え方が揺らぐから、絶対に両方の考え方は持たないですね」

 今回はでも、すみません。今の話などをもっと『死後を生きる生き方』に沿って、お聞きしなければいけなかったのに。さらに詳しく輪廻転生の話をするべきところを個人的な兄弟の話が中心となってしまい、恐縮の至りです。

「それはきっと、あなたの魂がお兄さんの話を僕に聞かせたかったのでしょうね。いま、こういう魂の話をしていますから、我々を見守ってくれている向こうの世界の人たちも興味を持って、この空間に集まってきているかもしれませんよ(笑)」

 横尾さんにお会いしてから5日後、突然、兄からスマホに連絡が入った。

「今な、四国にいる」

 なんで? なぜに四国?

「気候もよくなってきたし、これから八十八箇所霊場巡りをしようと思って」

 はあ? どうしちゃったの、いきなり。

「以前から興味があってね。いや、お前に電話したのは、こちらに向かう道中で読み終えたぞ、ウルトラマンの本。ネットで買っていたんだ」

 それって『ウルトラマン不滅の10大決戦』のこと?

「そうだよ、なかなか面白かった」

 それはどうも、ありがとう。

「さっ、これから歩いての長旅だ。途中で弘法大師さんとすれ違うかもしれんしな」

 いやいや、歩いている最中、たまには空を見上げなよ。もしかしたら、颯爽と飛んでいるウルトラマンが見えるかもしれないよ。

「ああ、そうしてみる。本当に見えたら、いいなあ、楽しいだろうなあ」

 兄は人が変わってしまったのか。これじゃ、まるで別人だ。兄の心境に一体、何が起きたのだろう。まなじり吊り上げて神も仏も存在するわけがないって、ほざいていたのに……。いやはや、なんてことだ、横尾さんが〝お兄さんは霊的なもの、非物質的な世界に関心を持たれることになるのかもしれない〟と言っていたとおりになってしまった。

 その夜、こんな夢を見た。

 横尾さんが描いたY字路の絵に、兄がすぅぅっと入り込む。兄は右の道を歩き出す。そのまま絵には描かれていない道の先を兄はどんどん進んでいく。その道は次第に左側へと緩いカーブを描き、その道なりに兄は歩き続けている――。

 朝方、目が覚めた瞬間、ひとつの仮説が頭の中を駆け巡った。

 もしかすると……。

 数年前からボクは雑誌の編集業にも就いている。その編集作業というのは、ある面、唯物的だったりする。唯物的でなければ、はかどらなかったりするわけだ。すると、いまのボクは徐々にではあるが、左に進んでいたはずなのに、右へとカーブを描きながら歩き続けているのか。

 とすると……。

 いつかは左に曲がり始めた兄とすれ違うことになるのかも――。その風景を上から俯瞰したら【∞】の図を描く。

 だとすると……。

 兄の前世はボクで、ボクの前世が兄だったのかもしれない。そして、何かの意思によって計画通りに輪廻転生を果たしたボクの来世は、兄と同じような唯物的で生真面目性格となり、公的な正しい人として生きていくかもわからない。逆に兄は【ラテン】な性格として生まれ落ち、そのズレのせいで社会と衝突し、多くの悩みを抱え込むことになるのかもしれない。

 そんな予感がした。

 いや、違う。

 横尾忠則の魂に触れてから、それは確信になりつつある。

撮影/五十嵐和博

1 2 3 4
 第4回 山田洋次

関連書籍

完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦

プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

魂がどこにあるかは僕にもわからないし、誰も知らない。それでも、魂はあります。