ディープ・ニッポン 第3回

国東(3)元宮磨崖仏、熊野磨崖仏、天念寺耶馬、川中不動磨崖仏、臼杵の石仏群

アレックス・カー

「山の中の仏」という素朴な世界

 そこから私たちは近くの熊野磨崖仏へ移動しました。熊野磨崖仏は国東半島の磨崖仏の中でもチャンピオンと呼べるほどの存在です。

 麓にある胎蔵寺の横に設けられた鳥居が、磨崖仏への参道入り口です。この参道が実に難儀なもので、バラバラの大きさの石で、ごつごつと組まれた「九十九の石段」がはるか上の方にのびています。それもそのはず、この石段は鬼によって作られたものだからといいます。昔々、人食いの赤鬼が熊野権現と約束を交わし、一夜のうちに百段の階段を作れば自分の罪を許してもらえることになりました。鬼の仕事は思いのほか早くすすみ、最後の一段の石を運ぶところまできましたが、そこで権現が「コケコッコー」と鳥の鳴き真似をしたところ、赤鬼は「負けたあ!」と驚き、逃げていったそうな。

熊野磨崖仏 石階段

 急な石段は、石段とはいうものの、ただ山の傾斜にそって無秩序に石を置いただけのようなものであり、本当に鬼が作ったと思えるほど登りにくいものでした。息を切らしてようやく上まで辿り着くと、その眼前に磨崖仏の最高傑作が現れました。露出した山肌に巨大な仏が二つ彫り出されています。向かって右には高さ約六・五メートルの大日如来、そして左には高さ八メートルの不動明王。両方とも平安時代末期の作と推定されています。

熊野磨崖仏

 どちらも顔から上半身にかけては比較的丁寧に彫られ、下半身はほとんど原石のまま山肌に溶け込んでいます。雄大で、見た人を圧倒する力強さです。

 大日如来は、どこか柔らかな雰囲気があり、半眼の目が瞑想に耽った様子を表しています。不動明王の方はどっしり、かつダイナミックで、しかめっ面の表情が、怒っていながらも、どこか笑っているような愛嬌を感じさせます。大日如来の「静」と、不動明王の「動」の取り合わせが、仏教哲学を網羅しているのだと私には思われました。
 これまでに多くの不動明王の彫刻を見てきましたが、熊野磨崖仏は群を抜いて最高でした。立地、環境にも恵まれ、周りに看板や人工物など悪く目立つものはありません。仏さまの頭のすぐ近くまで山の緑が茂っていて、そのワイルドな感じも魅力的です。もしかしたら、ここでも近い将来、雨風を防ぐために屋根が設置されたり、磨崖仏の真ん前に説明や注意書きの看板が立てられたりするかもしれません。しかし、いまはまだ純粋に「山の中の仏」という素朴な世界を私たちは眺めることができます。これは本当に喜ばしいことです。

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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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