ディープ・ニッポン 第3回

国東(3)元宮磨崖仏、熊野磨崖仏、天念寺耶馬、川中不動磨崖仏、臼杵の石仏群

アレックス・カー

山奥の崖に仏の姿を刻んだのは誰なのか?

 国東半島の旅では、たくさんの不動明王と出会いましたので、ここで不動信仰について考えたいと思います。

 日本の仏像が紹介される際には、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、弥勒菩薩などの名前がよく挙がりますが、不動明王について触れられることはあまり多くはありません。しかし令和元年に、ある仏具製造会社が仏像に興味がある約三百六十人に「好きな仏像アンケート」を実施したところ、弥勒菩薩に次いで第二位に輝いたのが不動明王でした。

 不動明王はインドと中国に起源がありますが、当地ではかなりマイナーな存在でした。ところが中世に密教を通じて不動信仰が日本へ伝わると、修験道が発展し、それとともに不動信仰が拡大して、やがて非常に人気のある仏になりました。

 不動明王は、絵画では身体が青黒く描かれ、右手に剣、左手に羂索けんさく(悪を縛り上げる縄)を携えた姿で、背には渦巻く火焔を背負っています。中でもいちばん印象的な特徴は、口元の牙でしょう。右牙は上に、左牙は下に向かって突き出ていて、恐ろしい形相でありながら、どこかユーモラスな雰囲気を持ち合わせています。

 不動明王は他の仏と違って、静かに瞑想するものではなく、魔力、妖力を持った荒々しい仏です。修験道の厳しい修行を極めようとする人たちは、悟りの境地に至って、不動明王のような万能の霊力を身につけることを望んでいたのだと思います。 

 さて、磨崖仏を見る度に不思議に感じるのは、一体なぜこんな山奥の崖に、無名の彫刻家が仏の姿を刻んだのか、ということです。

 これらは山伏や修験者が作ったものでしょう。静かな山の中に大地から伝わる何かを察知して、仏を刻む閃きが生まれました。山伏は山を歩く仙人で、彫刻に関しては素人です。芸術家としての計算も飾り気もないからこそ、素直な心が磨崖仏の素朴な魅力につながっているのではないかと考えています。

 足元に細心の注意を払いながら九十九段の階段を降り、かねてから興味を惹かれていた「天念寺てんねんじ」を目指しました。

 天念寺は国東独特の「修正鬼会しゅじょうおにえ」を伝えるお寺で、背後にはダイナミックな「天念寺耶馬やば」がそびえています。天念寺耶馬は三の宮の景と比べると、スケールが圧倒的に大きく、多くの峰が重なり合っている眺めです。ギザギザした奇岩の連なりは、昔の山水画のようです。

天念寺耶馬(一角)

 この山々の中の二つの峰の間に、画家が描いたような小さなアーチ型の石橋「無明橋むみょうばし」が架かっています。肉眼ではなかなか見つけることが難しいのですが、天念寺の正面に設けられた展望台から望遠カメラでのぞくと、魔法の世界に出てくるような橋の姿が見えました。昔は丸太造りでしたが、大正時代に石造りに変わったようです。

無明橋

 天念寺耶馬とこの周辺の尾根を巡る修験道の「峯入り」修行は過酷なもので、難場である岩屋を、いくつも越えなければなりませんでした。中でもいちばんの難所が無明橋で、渡る時に少しでも煩悩が頭をよぎれば、谷底に落ちてしまうといわれていました。

 能の演目の一つである「石橋しゃっきょう」では、石の橋は知恵の守護神である文殊菩薩の浄土に渡る関門となっています。文殊の使いである獅子は、石橋の周りで戯れ、橋の上を走ったり、崖と崖の間を飛んだりします。

 お能の「石橋」では、きこりの少年(前ジテ)が旅の僧に、橋の先が文殊菩薩の浄土であること、仏道修行の難所となるその橋が俗人にとってどれだけ危ないものであるかなどを説明します。後に少年は後ジテに変貌し、文殊の獅子として舞いながら文殊の浄土へと戻ります。このテーマを描いた傑作に、曾我そが蕭白しょうはくの「石橋図」があります。急峻な崖の上に架かる石橋の麓で、たくさんの獅子が戯れていて、危なっかしいけど楽しそうな絵です。

 そのようなことから、無明橋は文殊の世界に通じるものだと私には思われました。国東半島の北東には、役行者が開いたといわれる「文殊仙寺もんじゅせんじ」があることからも、この地で文殊信仰を意識していたことがうかがえます。

 天念寺周辺の山々には昔、鬼がたくさん棲んでいて、修行僧しかこの谷の中に立ち入ることを許されていなかったといいます。天念寺で鎌倉時代から続く修正鬼会は、まさにそのあらわれでしょう。

修正会しゅしょうえ」は仏教における正月の法会のことですが、そこに鬼が登場するのは国東独特のものです。修正鬼会は旧正月に開催され、僧侶が鬼に扮して松明を掲げながら演舞を行う伝統行事です。小さなお堂に入ると、その片隅に横倒しに置かれた巨大な松明が次の鬼会を待っていました。写真を見ると、演舞の主は僧侶か鬼か分からないような姿です。国東一帯では鬼は邪悪な存在ではなく、災いを払う神聖なものととらえられており、知恵を獲得すると、僧侶か鬼かは関係なくなるのかもしれません。

 茅葺の屋根を持つ天念寺のすぐそばに、八幡関係の身濯みそそぎ神社がありました。神仏習合の時代には、神社と寺がまさに一体だったことが想像できました。長い年月を経て摩耗した木の床、上部の太い曲がり桁、竹が組まれた天井などは素朴で、鬼や修行僧に相応しい棲家といえます。

 このお寺の前を流れる川の中洲の岩にも、磨崖仏である「川中不動」が彫られています。荒削りで純朴な不動明王は、熊野磨崖仏の荘厳さとは対照的で、可愛いらしい感じもありますが、手に持つ剣と羂索の縄、上がり下がりの牙、険しい表情は紛れもなく魔力を宿した不動明王のそれです。

川中不動磨崖仏

 川岸から磨崖仏のある中洲には小さな石橋がかかっており、その上を歩いて近くまで行くことができました。橋から水面までは数十センチほどしかなく、十分なスリルがありました。私はここで、ようやく石橋を渡ることができました。文殊の知恵は授けられたでしょうか。

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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