瞑想に耽って静寂な悟りの境地に入り、穏やかな表情で私たちを救ってくれる如来や菩薩に象徴されるように、仏教には平穏な宗教のイメージがあります。一方で、不動明王のように、敵の征伐や悪霊退治に通じる恐ろしさをあらわす仏もいます。火焔を背負いながら、空いた口から周囲に轟く怒号を放ち、四本あるいは六本の手で斧、矛、剣などの武器を振り回す仏もいます。こうした仏は死、闇、破壊の世界から生まれたものです。
国東半島の田染地区は、平安時代の史跡の宝庫です。奇跡的に残った荘園の水田、富貴寺の阿弥陀堂、熊野磨崖仏はどれも平安時代のものです。これらが守られた背景には、近くの宇佐神宮と当時、国東半島で盛んだった修験道の存在がありました。ゆえに、この地では平安の雅とともに、それとは別の荒々しく苛烈なものを見ることもできます。
修験道の厳しい修行は、精神の葛藤、誘惑や妄想、悪霊との戦いでもありました。修験者が欲した霊力を習得するには「黒魔術」「妖力」を身につける必要があり、阿弥陀如来や大日如来のような穏やかな神仏だけでなく、不動明王のような恐ろしい存在も彼らの崇拝の対象となっていったのです。
「六面六臂六足」の威徳明王が凄まじい怒りを発する
私たちは富貴寺とともに、田染にあるもう一つの平安時代ゆかりのお寺、真木大堂を訪れました。昔は六郷満山の一大寺院でしたが、元の伽藍はほとんどなくなり、いま残っている本堂も江戸時代に再建されたもので、田園にたたずむ小さな村寺の雰囲気です。
ここには数点の平安仏像が残っていて、昭和40年代に建てられた収蔵庫に安置されているとのことでした。収蔵庫は鉄筋コンクリート、アルミサッシに蛍光灯という無機質な建造物で、いつもの私ならさして興味を惹かれることもないのですが、仏像を見たかったのでとにかく中へ入りました。
建物内部には、そんな私の不遜さを吹き飛ばすような光景がありました。驚くほど大きな仏像三体が、そこには安置されていたのです。
向かって右から不動明王、中央に阿弥陀如来、左に大威徳明王と並んでいます。三体とも高さは二・五メートルぐらいありそうです。
不動明王は牙を上下に出して片目が前を睨み、もう一つの目が下に向いています。明王が背負った火炎光背は、後の時代に付けられたもののようですが、向かって右の矜羯羅童子と左の制咤迦童子は不動明王と同じ平安時代の作で、憤怒の不動とは対照的に可愛らしい雰囲気をたたえています。中央の阿弥陀如来は、脇四方に四天王像を従えています。平安時代の仏像が、このような完璧に近い形で安置されていることは珍しく、奈良へ行ってもなかなか見られるものではありません。
さらに見事なのは大威徳明王です。
その姿は不動明王より一層凄まじく、髪は逆立ち、空いた口からはイノシシのような牙が突き出ています。六面六臂六足(手・足・顔がそれぞれ六つずつ)で、六つの顔はみな怒りの表情を浮かべ、六つの手は剣や弓矢を振り回し、六つの足を下ろして牛に乗っています。日本で四臂や六臂の仏像は度々見られますが、大威徳明王の六足は極めて珍しいものです。
「大威徳明王」という存在は、現在ではあまり知られていませんが、昔は広く信仰の対象にされた仏でした。実は私にとって大威徳明王は特別な存在で、それゆえに心が惹かれました。
私が京都で住む家は、小さな天満宮の境内にある一軒家(昔の社務所)で、毎日くぐる境内の門には、「威徳山」の額が掛かっています。ある時調べたところ、「威徳」は元々ヒンドゥー教のシヴァ神(破壊の神)の怒りの姿を表したもので、本地垂迹の一説では天満宮の本地はシヴァ神に当たるとのことでした。つまり大威徳明王はシヴァ神の別の姿、ヤマーンタカなのです。
天満宮といえば牛のイメージが強く、多くの境内には牛の石像が置かれていますが、これもシヴァ神の乗り物「ナンディの牛」にちなんでいます。
たとえば有名な京都の北野天満宮は、すぐれた能力を発揮しながら、時の政治により不遇な最期を遂げた菅原道真の怨霊を鎮めるために建立された神社です。怨霊の怖さを表すゆえ、後に「威徳」と尊称されたのです。
密教において最も恐ろしい仏であるヤマーンタカは、日本だけでなくチベット密教でもよく用いられ、曼荼羅図に描かれています。死の神、あるいは死を克服する神という解釈もありますが、どちらにしても恐ろしい存在であることに違いありません。それゆえに、大威徳明王のご利益を得て、死を超越することは、修験道の究極の行き先でした。
平安時代以降に大威徳の信仰は流行を見ましたが、現存する大規模な仏像は多くありません。真木大堂の大威徳明王像は、私がこれまでに見たものでいうと、高知の竹林寺にあった大威徳明王像と似ていますが、竹林寺のものは鎌倉時代の作で時代が少し下がります。もしかしたら、国東半島のこの小さな真木大堂に安置されている大威徳明王像は日本一古く大きなものかもしれません。
オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!