ディープ・ニッポン 第4回

国東(4) 真木大堂、両子寺、空也池、八幡奈多宮、真玉海岸

アレックス・カー

信仰の力が作り出したファンタジーの世界

 真木大堂の木造の仏像は例外として、基本的に国東半島は「石の国」です。磨崖仏をはじめ、宇佐神宮形式の台輪の付いた石鳥居、石段など、石にまつわるものを至るところで目にします。

 通常、お寺の仁王像は木で作られますが、大分県には石の仁王像が多く、国東半島だけでも百三十体が確認されています。その中でも有名な仁王像が、両子寺ふたごじのものです。

 国東半島を形成した両子山の山頂部付近にある両子寺は、かつて杵築きつき藩の最高祈祷所でした。半島のほぼ中央に位置していることから、江戸時代には六郷満山の総持院として、全山の寺を総括する役割も担っていました。伽藍は本堂から奥の院まで備わり、充実していますが、私はあえて両子寺の「石」に着目することにしました。

 参道の手前には、赤い欄干の付いたアーチ型の石橋があります。なるほど、これにも「無明橋むみょうばし」という名が付けられ、不信心者が渡れば落ちるなどと、看板に注意が書かれています。無事に無明橋を越えると、参道が始まります。その参道の両脇に、実に立派な仁王像が立っています。この仁王像というものも、善を守り悪を征伐する役割を持った守護神で、真木大堂で見た不動明王、大威徳明王と同じ分類になります。

 両子寺の参道にたたずむ一対の仁王像は、文化十一年(1814年)に作られた石の彫刻で高さは二・五メートル弱。仏法を守る仁王にふさわしく、眼光は鋭く、筋骨隆々としています。大地と悪を踏みしめる足のふくらはぎは、動脈が浮き上がるほど力がみなぎっていて、大変な貫禄です。国東らしく、石の表面は少しザラザラして滑らかさはなく、ところどころ苔むしています。ちょうど周りの木々からの木漏れ日が彫刻にさす時刻で、実に神秘的でした。

両子寺 仁王像と参道

 仁王像から先は石段になっていて、国東半島でいちばん古いとされる山門へと続きます。山門を越えると傾斜が緩やかになり、石段が石畳に変わります。山門までの石段の周りは杉林に囲まれ、山門を越えた先の石畳は、モミジの並木道になっています。参道として、すぐれた演出だと感じました。

両子寺 石畳

 午後の陽射しが翳ってきました。両子寺の次は文殊仙寺もんじゅせんじにもぜひ行きたいと思い、イラストマップで位置を確認したら、交差点を渡ったすぐ隣に描いてありました。都会の感覚で、十数分程度で到着できるだろうと車を走らせたところ、延々と続く山道を下ったり上がったりの繰り返しです。つまり、一つのお寺は一つの山にあり、別のお寺に行くには、いったん山を下りて、別の山をもう一度上がり直さねばならないのです。ようやく文殊仙寺に着いた時は、すでに拝観が終了する間際で、山の表情は昼間とまるで違った険しさに包まれていました。残念ですが拝観はあきらめて、山道を下りることにしましたが、それから間もなく、日はどんどんと暮れていき、すれ違う車もありませんでした。静まり返った山中で、このまま車ごと異界にさらわれてもおかしくないという思いを抱きながら、車を走らせました。静かな海辺にある旅館に着いた時は、まだ夢の続きを見ているような気持ちでした。

 翌朝、旅館の近隣を散歩していた時に「興導寺こうどうじ」という小さなお寺を見つけました。山門には国東ではおなじみ、石で作られた仁王像が立っています。修験道の影響で国東半島の寺の多くは天台宗、真言宗ですが、興導寺は平安京から来た空也くうや上人によって開かれた天台宗のお寺とのことでした。門には「宇佐神宮六郷満山霊場」と書かれていて、神道の宇佐神宮と密教の霊場がいまも一緒になっているようです。神仏習合の精神が強く根付いていることを、あらためて実感しました。

 本殿前の砂場にかたどられた梵字を見ていると、ご住職が出てきて親切に境内を案内してくれました。興導寺は決して有名な場所ではありませんが、京都のお寺でもなかなか見られないような古い時代の仏像や掛け軸をいろいろと見せていただきました。

 お寺から少し歩いたところには「空也池」と呼ばれる場所もありました。ここも小さいながら、異様なパワーを感じさせる池です。そこに石橋が架かり、空也の墓と伝えられる小さな祠へと続いていました。

 六波羅蜜寺に有名な彫像が収められている空也は京都で亡くなり、東山の西光寺にお墓があります。実は九州に来た記録すらありません。日本、特に奥地を旅していると、きっと後から作り上げたであろう真偽の分からない歴史に、しばしば遭遇します。しかし、そこで語られる伝説は強く心に訴えるものがあり、時として史実以上の説得力があります。

 国東半島は、大地から湧き上がってきた磨崖仏、恐ろしい明王、お坊さん姿の八幡神、鬼の作った石段、千年間守られてきた田んぼなど、信仰の力が作り出したファンタジーの世界と言い換えることができます。空也池の「お墓」も、私には史実を超え、本当に空也の魂がここに眠っているように思えました。

空也池
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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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