樹齢1000年の大イチョウ
地図上の直線距離では、すぐ行けそうなのに、いざ目的地に向かうと、思いのほか時間がかかってしまうのは山間の旅の常道です。
私たちは、内陸の十二本ヤスから、次は日本海側に位置する深浦町に向かいました。ここには日本最大のイチョウである「北金ヶ沢の大イチョウ」があるのです。青森編の第1回で書いたように、その存在を知った時、どうしても見ておきたいと思った巨木でした。
山道から海辺に出て、海沿いの道路を進んでいきます。海風によって傾いたマツの木々が目に入り、過酷な北国の気候を感じます。大イチョウの木は、鰺ヶ沢から陸奥柳田を過ぎ、さらにその先の北金ヶ沢集落にありました。車を降りて近付いてみましたが、木があまりに大きく、遠くから見ても、近くに寄ってみても、なかなか全貌を把握できません。
この巨木は樹齢1000年、高さも30メートル以上。道路側に立ち、下から見あげると、大きな緑の雲に包まれているようで、空との境が判然としません。そのように錯覚するほどに見事な樹冠です。
「日本一」をうたったスギやケヤキは日本各地にあり、本当に「一番」かどうか判定できないケースがほとんどですが、北金ヶ沢の大イチョウにおいては環境省からも全国第1位に認定されています。
道路に面した側から木の裏手に回り、中央の幹に近付くと、ここでようやく「第1位」の理由が実感できました。北金ヶ沢の大イチョウは幹回りがなんと22メートルもあり、中に大型のバン一台がおさまるほどです。奥入瀬で見た幹周り6メートルの「ニドムカムイ」は衝撃的でしたが、その約3倍。そもそもイチョウの木は長生きで、幹周り10メートル以上の巨木が全国各地で記録されていますが、それにしても北金ヶ沢の大イチョウはそれらの2倍以上です。
1000年を生きる間にイチョウは幹を複雑に入り組ませ、低い位置を這うように広がっていく枝から、イチョウ特有の「乳根」が地面に向かって垂れ下がり、さらに「台杉」のように細く垂直に伸び上がる枝と絡み合って、その様相は亜熱帯のガジュマルのように複雑になっています。枝に覆われた幹の周辺は薄暗く、ジャングルにいるようです。それにしても幹周22メートルは、どのような基準で測ったのでしょうか。不思議に感じるほど複雑な樹形でした。
乳根について補足をしますと、樹齢の古いイチョウには枝から垂れ下がった円錐形、もしくはボーリングピンのような細長い突起が見られます。なぜそのようなものがあるのか、研究者も解明できていないようですが、垂れ下がった丸みのある気根が乳房を思わせたことから、「乳根」と呼ばれています。
ここでは赤子の母親がイチョウの気根に触れると、母乳の出がよくなるという言い伝えもあるそうで、北金ヶ沢の大イチョウは「垂乳根の銀杏」と名付けられてもいると、近くにあった石碑に記されていました。
大イチョウの迫力に心奪われ、私は表に回ったり、裏に戻ったり、上を見上げたり、下を見たりと、ぐるぐると木の周囲を歩きました。夕暮れが迫り、そろそろ車に戻らねばと思いながらも、もっと見ていたい気持ちに引き留められて、その場をなかなか立ち去ることができませんでした。車に戻った時には空に月が出ていました。
(つづく)
構成・清野由美 撮影・大島淳之
オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!