青森(4)ランプの宿、薬師寺の石割カエデ、十和田八幡平公園、城ケ島大橋、八甲田、ブナ二次林、中町こみせ通り、盛美園、夕焼けの岩木山
北金ヶ沢の大イチョウを見た夜は、黒石市の渓谷に位置する「ランプの宿 青荷温泉」に泊まることにしていました。昭和4(1929)年に開湯したこの温泉は、電気、電波がなく、照明はすべて灯油ランプというロマンチックな宿です。夕食、朝食は大広間で決まった時間内に食べる決まりになっています。
青荷温泉のある山間は、日本海側からかなり離れている上に、大イチョウを見ているうちに日が暮れて、北金ヶ沢を出発した直後から、周囲はみるみる間に闇に包まれていきました。
漆黒の闇の中、車を走らせましたが、十二本ヤスがあった林道のように、舗装がところどころ途切れ、ヘアピンカーブのような難所も出現します。ようやく宿の駐車場に辿り着いた時は、夕食が終わる30分前。真っ暗な駐車場に車を停めて、闇の中を手探りするように進みました。明りの灯った玄関の扉を開けた瞬間、ランプがほのかに照らし出す館内が、灯油の匂いとともに目に入ってきました。
この温泉は歌人の丹羽洋岳が建てた小屋が始まりとのこと。現在は安全のために電気は引いてあるようでしたが、ロビー、大広間、温泉、客室に至るまで、電源コンセントはどこにもありません。携帯の電波は圏外で、インターネット接続もなし。いまの時代には、なかなか味わうことのできない環境です。
この宿には日本人、外国人の別なく、ディープなファンが付いていて、ランプだけの館内を心得た達人たちは、日のある時間帯にチェックインして、露天風呂や内風呂など敷地内に点在する四つの温泉を楽しみます。その後、川魚や山菜がふんだんに使われた、素朴で栄養たっぷりの食事をとりながら、文明の毒から隔絶された時間を味わうのです。初心者の私たちは夕食後に、館内の温泉に浸かりに行きましたが、ここも照明はランプ一つだけで、床も空間も闇にかすんでいました。足元すら見えないお風呂は幻想的であり、同時に冒険的なものでした。
満天の星をあおぎ、ぐっすり眠った翌日、窓を開けると夜には見えなかった周囲の景観が、朝の光の中にくっきりと浮かんでいました。紅葉の見ごろにはまだ少し早かったのですが、赤や黄に色付いた木々の葉が、光を浴びてそよ風に吹かれています。朝食を食べ、宿を後にした私たちは車に乗り、未舗装の砂利道を前夜のようにそろそろと通って、山を下りました。
今日の目的地は八甲田と白神山地ですが、青森の名木リストに、樹齢500年とされる薬師寺の「石割カエデ」を見つけました。名前に興味が湧き、場所を調べてみると、すぐ近くということが分かり、この小さなお寺に立ち寄ることにしました。
江戸時代前期から続くという薬師寺は黄檗宗の禅寺で、「瑠璃山」という山号が津軽藩の五代藩主から与えられています。明治7(1874)年に火事に遭い、現在の本堂は明治43(1910)年に再建されたものです。その本堂前に蓮鉢が二列並行に並べられていました。京都・宇治にある黄檗宗大本山の萬福寺でも、そのように並べられた蓮鉢を見たことがあり、懐かしさを覚えました。
石割カエデは、本堂前の階段の脇にありました。これまで青森の各地で見てきた堂々たる名木と比べると背が低く、ヨレヨレのご老体のようではありました。深いシワの刻まれた幹は極端に捻れ、地面を這うように伸びた根は太く、ギリシャやイタリアにある千年オリーブを彷彿させます。実際、このカエデの樹齢は500年以上とのことで、一般的に寿命が150年に満たないモミジやカエデとしては、かなりの高齢といえます。ちなみに「石割カエデ」という名は、この木が石を割って生えているということではなく、その姿が岩手県盛岡市にある「石割り桜」に似ていたことから付けられたとのことでした。
老木の石割カエデは丁寧に手入れされていましたが、残念ながら終年が近いようでした。おそらく、この木は創建時に植えられたか、それ以前からあったもので、本堂の火災などさまざまな歴史を見てきたのでしょう。ご老体ながら、曲がりくねった幹から突き出た二本の枝は何とも美しいものでした。
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