かつて、岩木山には三方からの登山路が設けられ、それぞれの入口に「岩木山三所大権現」と称した別当寺院が建てられました。西の別当は現存していませんが、南の「岩木山神社」と北の「巌鬼山神社」は今も健在です。巌鬼山神社はもともと「巌鬼山西方寺観音院」でしたが、神仏分離が起こった明治6年に神社に改められました。しかし、神仏習合の根強い青森では、神社になった後も観音像が残り、津軽三十三観音霊場の第五番札所になっています。
ところで、南の岩木山と北の巌鬼山の字の違いには、神道の言霊的な匂いが漂い、第1回で訪ねた新郷村の「キリスト」と「イスキリ」を思い出させます。いずれも、音読み、訓読みでは「いわきやま」「がんきさん」と同じになります。
その巌鬼山神社の境内に大スギがあると聞き、立ち寄ることにしました。場所は鄙びた山間の地で、東北の原風景を感じるところです。スギの高木に挟まれた参道の奥に、赤い鳥居が立っていました。岩木山の裏玄関にもかかわらず、質素な環境に置かれ、小ぶりな拝殿は小村のネイバーフッド(ご近所)神社といった親近感が漂っています。私たちがいた間に観光客は一人も訪れず、近隣に住んでいるらしいお母さんが幼い子供を連れて、お参りに来ただけでした。
本殿に立ち寄ると、内部は神社の造りながら、祭壇の横には観音像が置かれ、お寺の趣も色濃く残っていました。
その本殿横の崩れかけた垣根に囲われて、二本の大スギが立っていました。高さ40メートルの巨木は樹齢1000年といわれています。看板の解説によれば、青森県にこれ以上古いスギはないとのこと。スギの古木によく見られるように、幹の低い位置から太いゴツゴツした枝が出て、天に向かってジグザグと広がっています。枝が落ちたり、切られたりした箇所には出っ張りが残り、凸凹の多い幹の表面に、ブナのような滑らかさはありません。樹皮には深い割れ目が縦に入って木肌はザラザラしていました。
いつも思うことですが、私たちが目にする植林されたスギと、樹齢数百年クラスのスギとは、別の樹種と勘違いするぐらいに形状が異なります。
スギは通常、エンピツのように真っすぐに伸びると思われがちですが、屋久島の縄文杉を見ても分かるように、それは本来の姿ではありません。実際、幹は太く、低い位置から曲がりくねった枝をたくさん出しています。古いスギは、手、足、角、牙を備えたジュラシックモンスターといってもよいくらいで、それこそがスギのディープな魅力だと私は思っています。植林されたエンピツスギとは違い、ジュラシックのスギには古の神々が宿っています。
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