ディープ・ニッポン 第9回

小笠原(1)横浜SJCの伏線、竹芝からの出発、父島到着、ペリー提督、ジョン万次郎、小笠原の歴史

アレックス・カー

 十二歳の時、アメリカ海軍の弁護士だった父親が横浜へ赴任することになり、私は中学一年から二年間、横浜外国人墓地の真向かいにあった男子学校「セント・ジョセフ・カレッジ(SJC)」に通っていました。この学校は明治時代の設立という歴史があり、生徒は日本人が三分の一、中華街の中国人が三分の一、そして残りは横浜に住む外国人ビジネスマンや領事館関係者の子供たちという内訳でした。

 当時、学校には「ボニン・アイランズ(Bonin Islands)」から来たという二人の生徒がいました。日本人らしい顔立ちでしたが、話す言葉はアメリカ英語で、彼らは横浜に下宿していました。校内の集まりで二人が紹介された時、SJCにはボニン・アイランズ出身の生徒が戦前から代々、学びに来ていることが説明されました。その時の私は地理的なことはよく分からず、ただ南洋の島から来たんだなと、ぼんやり思っていただけでした。

 この記憶は六十年近く前のもので、後に私は、ボニン・アイランズが小笠原諸島を指すのだと知ることになります。

 小笠原諸島は東京都島嶼部とうしょぶとして管轄されていますが、本土から1000キロメートルも南に位置しています。小笠原諸島には、空港のある島はなく、中心地の父島には東京からフェリー「おがさわら丸」で、二十四時間かけてアクセスします。ひとたび島に上陸すると、東京に帰るには最短でも四日後のフェリー出港を待たないといけません。「ディープ・ニッポン」を語る上でこれ以上の場所はないでしょう。

 十一月の秋晴れの日。私たちは青天をあおぎながら、竹芝埠頭から小笠原に行く「おがさわら丸」に乗りました。午前十一時の出航で、翌日の午前十一時に到着します。船はレインボーブリッジをくぐり、東京湾を抜けて太平洋の沖合へと進んでいきます。

フェリーから見た東京湾

 デッキでみなが風景を楽しんでいる時、十数人ほどの外国人乗客グループを見かけました。コロナの水際対策が緩和されたばかりの2022年秋で、まだほとんどの外国人観光客が入国できない状況下、なぜこのグループがわざわざ小笠原まで行くことにしたのか、不思議に感じました。この光景は、後に今回の旅の大きな伏線になります。

 東京湾から外洋に出ると、波が高まって、船が大きく揺れはじめます。「今夜は荒天予報だから、もっと揺れますよ」と、売店の人が話していた通り、夜になると船は揺れに揺れました。私は子供時代、父とヨットで外洋の旅によく出ていましたので、船の揺れは平気です。しかし同行の清野由美さんと大島淳之さんは、大変な思いをしていました。

 船内で一晩を過ごして朝起きると、見渡す限り太平洋の青い海が広がっていました。しばらくすると、地平線上に小さな島々が現れ、その先に父島の姿が見えてきます。船は二見ふたみ港に停泊し、いよいよ上陸です。カラッとした心地のよい暖かさ、海からのそよ風、道路脇のガジュマルの木、スッキリした低層の町並み。中心部にはかわいらしいたたずまいの「小笠原聖ジョージ教会」もあり、それらが子供のころに住んでいたハワイを思い出させました。

港前の町並み
港前のガジュマルの木

 下船してすぐにレンタカーを借り、町はずれにある宿まで移動してチェックインを済ませました。今回の滞在先となった「ロックウェルズ」は、バックパッカーに向いた簡素な宿ですが、ビーチに隣接しており、部屋の窓を開けると目の前に青い海が広がっていて、私には最高のリゾートでした。

ロックウェルズ前のビーチ

 ロックウェルズから町の中心部へ戻り、海岸沿いの道を歩いていると、一つの記念碑に目が止まりました。それは1853年のマシュー・ペリー提督来航を記念したものでした。1853年はペリーが浦賀に来航した年ですが、実はペリーは江戸へ向かう途中で、父島にも立ち寄っています。琉球を訪れた記録もありますが、小笠原はハワイと東アジアとのちょうど中間に位置しているため、日本や上海との貿易上、琉球よりも役立つと考えていたようです。

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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