絶滅の危機に瀕する「オガクワ」
埠頭でこの日のガイドの小西稔紀さんと合流し、小西さんが運転するバンに乗り込みます。
まず中心集落にある「ロース記念館」という小さなミュージアムを訪れました。シュロッ葉(オガサワラビロウ)葺屋根を持つこの場所は、フレデリック・ロルフス(通称ロース)という人物にまつわる郷土資料館となっています。ドイツ人だったロースは1869年に母島へ来て、それ以前から住んでいたイギリス人のジェームス・モットレイ夫妻と同居して、島特有の石である「ロース石」を流し台などに使える石材として開発した人物です。1878年に日本国籍を取得してからは、良志羅留普(ロルフス・ラルフ)に名を変えています。
記念館はロース石で作った砂糖倉庫を転用した一部屋だけの可愛らしい建物ですが、興味深い展示品が多くありました。その一つは、1853年にマシュー・ペリー提督がケリー艦長を母島に派遣した際に木に貼り付けた銅板の拓本です。「この南方諸島は、海軍提督ペリーの命に従い(省略)北米合衆国のために巡検し、これを領有する」と、英文で書かれています。
壁に展示されていた昔の白黒写真を見ると、港や山のところどころに草葺の家が立っています。シャツや浴衣、なかには裸の日本人の男の子たちが楽しそうに魚を持ち上げている様子もあります。いまの時代には見ることのできないピュアで平和な光景です。
しかし現実は一概に平和ともいえなかったようで、ロースが母島にやって来る約十年前には、モットレイとイギリス人ロビンソンとの間に土地を巡る熾烈な争いが勃発し、殺人事件にまで発展しました。ロビンソン側で戦った捕鯨船の船乗りが一人殺され、モットレイに捕らえられたロビンソンと子供三人は、強制的にハワイへ追放されました。残りの三人の子供は一年間ジャングルに潜み、草や虫などを食べて生き長らえ、最終的には父島へ逃げることに成功しています。その一人であるキャロラインは、後に私のSJC(横浜にあったセント・ジョセフ・カレッジ)の同輩だった上部ノブオさんの先祖、トーマス・ウェブ(Thomas Webb)と結婚しました。
記念館には、漁網にくくられた濃緑色のガラスの「浮玉」も展示されていました。ハワイに住んでいた子供のころ、家の近くの海岸で似たものを一つ見つけたことがありました。家へ持ち帰ると、父が「これは日本から来たものだ」と教えてくれました。私が「日本」という言葉を耳にしたのは、その時がはじめてだったと思います。その時に、浮玉の流れてきた海の彼方の国「日本」への憧れが私の中で芽生えました。しかしいま思えば、ハワイで見つけた浮玉は日本の本土ではなく、ハワイに近い小笠原から来たものだったかもしれません。
ほかにも奇妙な形をした切り株や桑の木の真っ黒な木片なども展示されていました。特にオガサワラグワ(オガクワ)の木の様子は、本土の桑とはまったく異なる南洋特有の高密度な堅木でした。木目が見えないほど引き締まったツヤのある強烈な黒色は、まるで黒檀のようです。
オガクワの根の部分は、特に黒くツヤがかかっています。昭和2年、即位して間もない昭和天皇が小笠原に行幸した際にオガクワの根に興味を示し、直径3メートルのオガクワの木の伐採根を厚く輪切りにしたものを三枚、宮内省に献納することが決まりました。しかし船への積み込み時、あまりの重さでワイヤーが切れて海に落下、水より比重の高い木材は海底に沈んでしまったエピソードが伝わっています。それほどまでに緻密な木なのです。
そのオガクワも現在では絶滅の危機に瀕しています。ロース記念館を後にして、次に訪れた石門()地区の保護林は、小笠原を代表する湿性高木林で、ここに母島最後のオガクワがわずかながら残っていました。石門地区はもともとオガクワの森が広がる土地で、幹径5メートル、樹齢千年以上の巨木がたくさんあったそうです。光沢のある黒い堅木のオガクワは高級建材や指物として人気が高く、当時はヒノキの一等材の二十倍ほどの値で取引されたといいます。それゆえに立派な木のほとんどは明治期に伐採されてしまったのです。
離島でのオガクワの繁殖力は弱く、母木が切られた後も周りに幼苗はほとんど見られません。加えて、そこに強い天敵が現れます。戦前に沖縄から薪材として持ち込まれた「アカギ」の木です。アカギという名は、赤褐色の樹皮にちなんでおり、その成長ぶりは早く、島全体を覆う勢いで繁殖していきました。アカギは高く太い幹に育つので、最初に見た時、私は立派な自然木だと勘違いしていました。しかし外来種のアカギは、小笠原の自然環境に大きな脅威を与えるものでした。
母島の山では、アカギのほかにガジュマルの木も広範囲に広がっています。奄美や沖縄のガジュマルよりも多い幹と、上から垂れた木根が複雑に絡み合って、歩くスペースもないほど深い薮を作っています。ガジュマルも沖縄からの外来種で、元々は小笠原にない樹木です。この木も成長が早く、固有の植物を圧迫しています。
アカギやガジュマルの木が多い道沿いの森林は一見、本土で見られる植林の「スギ砂漠」に比べると多様性に富んだ明るい森林に見えます。しかし、これらの外来種は小笠原の自然にとって望ましいものではないのです。
石門の保護森を出た時に、小西さんがバックパックから約20センチのオガクワの木片を取り出し見せてくれました。ロース記念館にあったものと同じく、光沢のある引き締まった真っ黒な木は、高級な美術作品のようでした。こんな貴重な木が絶滅寸前というのは、本当に残念なことです。
オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!