ディープ・ニッポン 第11回

小笠原(3)母島、ロース記念館、オガクワ、アカギ、外来種、北港、小学校跡地

アレックス・カー

父島から母島へ

 よく知られているように、小笠原には「小笠原島」という島はありません。小笠原諸島の中に「小笠原群島」があり、そこに「父島」「母島」などが属しています。

 小笠原群島の“ファミリー”は、「聟島むこじま列島」「父島列島」「母島列島」の三つの列島から構成されています。その中で人が住むのは父島と母島だけで、ほかはすべて英名通りの「ボニン(Bonin=無人)」島です。多くの島々の名前は、1722年の小笠原貞任の文書に記されている通り、家族にちなんだもので、その島名が現在も踏襲されています。

 北に位置する聟島列島には「聟島」「嫁島よめじま」のほかに、小さな島々と「針之岩はりのいわ」のようなギザギザに尖った岩群があります。東京の竹芝桟橋から父島へ来る途中、フェリーから地平線上に見えた島々は聟島列島と針之岩でした。

聟島列島の針之岩

 中央の父島列島には、「父島」「兄島」「弟島」「孫島」などがあります。父島の拠点港である二見港には、群島の「首都」機能が設けられ、官公庁と多くの観光施設が集まっています。

 南の母島列島は“男系”の父島列島に対して「母島」「姉島」「妹島」「姪島」など“女系”の名前が付けられています。父島より面積の小さな母島は、太平洋戦争で住民を本土へ疎開させて以降、アメリカ海軍政下の二十年間はずっと無人島でした。1973年からは再び定住者が入りましたが、現在も人口は少なく、住民基本台帳によると四百五十三人(2022年時点)。父島の人口二千五十五人(同)の二割強にしか過ぎません。

 小笠原に滞在中の一日は、母島へ渡る予定を入れていました。父島から母島へはフェリーで約二時間。行きは朝七時に父島発、帰りは午後二時に母島発です。万一、乗り遅れたら「一航海」と数えられる滞在期間中に、母島に渡るチャンスは巡ってきません。乗り遅れたら大変と、夜がうっすらと明けるころに起きて、まず町の自販機で昼食代わりの菓子パンを買い込むことにしました。

 父島、母島ともに、私たちが日常で当たり前に使っているような外食の店は、きわめて限られています。観光拠点の父島でも、通常、店が開いているのはお昼のみで、旅行者は宿で朝食と夕食を食べることになっています。母島はさらに飲食店が少なく、ツアーで効率的に巡る場合は、自分たちで昼食や飲み物を用意しておかないといけません。

 朝日が昇る前に起きて、自分でお昼のパンを用意するなんて、遠足のような気分です。宿の前のビーチに出てみると、日の出前の薄暗がりの中に、砂浜に流れ入る小波と空の雲が、ほのかに赤やピンクに染まっていました。

早朝のロックウェルズ前のビーチ

 二見港に車を停めて、連絡船の「ははじま丸」に乗ると、船の周りにカツオドリという海鳥が飛び交っていました。母島の中心集落の入り口である「沖港」に着くと、周囲に高いヤシの木が並び、ポツポツと並ぶ低い建物の背後に緑の山がそびえて、父島と同じく昔の穏やかな時代のハワイを思い出しました。

母島の沖港周辺
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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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