ディープ・ニッポン 第11回

小笠原(3)母島、ロース記念館、オガクワ、アカギ、外来種、北港、小学校跡地

アレックス・カー

ジャングルの中の地蔵尊

 小笠原諸島は、ほぼ全域が国立公園に指定され、しかも世界自然遺産にも登録されているので、国と東京都は自然環境の保全に取り組んでいます。小西さんは、小笠原固有の昆虫オガサワラシジミなどの保護を目的にした区域も案内してくれました。ここでは近年、北米から運ばれた外来爬虫類のグリーンアノールが昆虫を捕食することでオガサワラシジミやヒメカタゾウムシなどの固有種を著しく減少させています。テフロンシートをつけたフェンスで保護林の周りを囲み、そこに粘着トラップを吊るしていましたが、その効果は小さな保護区のみに限られ、いまも根本的な解決には至っていません。

 さらに、ここにはヤギという天敵もいます。ヤギは19世紀のホイットフィールド船長らの捕鯨船時代に島内に持ち込まれ、そこから野生化して島中に生息域を広めました。ヤギの食欲はすさまじく、あらゆる苗や樹皮を食べてしまうため、オガクワも壊滅的なダメージを受けました。近年、ヤギの駆除には一定の成果があり、島内でほとんど姿を見かけなくなったそうですが、グリーンアノール、ネズミによる被害は続いています。

 母島の北端を目指して進んでいくと、道沿いの草むらから野生の黒猫が顔を出しました。可愛らしい子猫でしたが、こうしたネコも小笠原の自然にとっては恐ろしい天敵です。黒猫の目つきには警戒心が宿り、私たちがなじんだ家猫のような、のんびりした雰囲気は皆無でした。私たちをにらみつけながら去っていく黒猫を、複雑な思いで見送りました。

 父島では戦跡ツアーに参加して、ジャングルの中に残る戦争の跡を辿りました。この母島にも戦跡があります。その一つが、島の北部にある「探照灯基地跡」で、コンクリートで固められた壕の中に旧日本軍が設置した大型の探照灯が残っています。ただ、戦争中に破壊されたのか、鉄製の探照灯は錆に覆われ、バラバラの残骸になっていました。

 そのすぐ近くに「六本指地蔵」という小さなお堂がありました。古びた地蔵の手を見ると、五本の指と親指、計六本の指で杖を持っています。なぜ、こんなジャングルの中に地蔵尊のお堂が建てられたか、不思議な気持ちにとらわれました。

 その疑問は、母島の北端の港である「北港」に至った時に氷解しました。戦前、ここは港を中心に「北村」という集落が栄えていたのです。

 戦前の母島は製糖と農業が盛んで、冬季にはトマト、キュウリ、カボチャなどを内地に出荷して、大きな売上を得ていました。八十軒ほどの集落だった北村には四百五十人ほどの住民がいて、クサヤ工場やカツオ節の加工工場、漁業倉庫などの産業基盤のもと、小学校、郵便局、駐在所、民家が集まっていました。

 そのような生活が営まれていたとすれば、先ほど見た六本指地蔵の存在も合点がいきます。人々は暮らしの中で、素朴な信仰心を持ったことでしょう。

 そんな北村でしたが、太平洋戦争時に強制疎開の憂き目に遭い、そこから廃墟化が進みました。現在の北港は完全に無人となり、小さな湾には、崩れかけた昔の埠頭が一箇所残るだけです。

 廃墟となった小学校に足を踏み入れてみると、校舎は跡形もなく撤去されて、敷地に石垣、階段、建物の土台だけが残っていました。そして、それらを覆うようにガジュマルの木がまるで生き物のように繁殖していました。人の手によって作られた構造物の土台や柱が、やがてガジュマルという自然に覆われていく眺めには、「アンコールワット」を彷彿させる神秘的な雰囲気がありました。

小学校の跡地に繁殖するガジュマル

 北村の集落の跡地も、探照灯基地の跡も、悲劇の残骸ですが、時がたつとそれらはまるで映画のセットのように、非現実的な眺めになります。しばらく夢の中にいるような気分で、そこにたたずみました。

母島の高台からの眺め
北港

 小学校跡地に心を奪われているうちに、帰りの船の出航時間が近付いてきました。この船に乗り遅れると、翌日、東京に戻る船に乗ることができなくなります。帰りの便の出港間際に沖港に到着した私たちは、慌ただしく乗船し、空中を乱舞するカツオドリの先導で父島へ戻りました。

船と併走するカツオドリ

 ふと気が付いてみると、バッグの中には昼用に買ったパンがそのまま残っていました。昼食を食べることも忘れ、短時間で母島を観るだけ観ることができました。

 船に揺られている間、母島の道路沿いに茂る木々の間から見えた島の絶壁と太平洋の大海原の、息をのむ絶景を思い出していました。人はしょせん、自然と時間の中にある小さな存在にすぎないことを思いました。

 世界遺産の小笠原諸島は、決して自然の楽園ではありません。外来種のネズミ、ネコ、ヤギ、グリーンアノールや、ガジュマル、アカギなどに脅かされ、「東洋のガラパゴス」の自然は、いつ別の姿に変貌してもおかしくありません。日本政府と東京都の支援があることも分かっていますが、世界自然遺産を守る努力としてはまだ不十分な気がします。日本では道路などの工事予算に比べれば、自然保護の予算は微々たるものでしょう。地元の力だけではなかなか思うように進められないのが現実です。

 ただ、母島の小西さん、父島の島田さんのような自然を愛するガイドの方たちが保護に乗り出していることは救いです。地元と関わっている専門家の努力によって、小笠原の自然は現在、ギリギリのところで持ちこたえています。今回の旅でそれを見ることができたことは大きな収穫でした。

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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