ディープ・ニッポン 第13回

北海道(1)夕張

アレックス・カー

 多くの人は北海道旅行で夕張を目的地にすることは少ないと思いますが、私にとっての夕張は「聖地」ともいえる重要な場所です。

 もう50年以上前になりますが、私が学生だった1971年に、四国の大学生グループのバス旅行に同行し、二週間に渡って北海道を回ったことがありました。旅のハイライトは洞爺湖や昭和新山、大雪山国立公園内にある層雲峡で、富良野近辺の牧場ではテントに泊まり、最後は網走まで足を伸ばしました。網走刑務所前で撮った記念写真はいまも手元にありますし、洞爺湖と層雲峡の美しさはずっと心に残り続けています。ただ、その旅を終えてからの30年以上、私が北海道を訪れる機会はありませんでした。

網走刑務所前での記念写真(1971年、アレックス・カー提供)

 四国・徳島の祖谷いやや京都の亀岡などと比べて、北海道に興味が向かなかったのは、北海道特有の歴史が関係しているかもしれません。北海道は江戸時代の終わりまで、まさしく日本の北端で、内陸に散らばったアイヌと、海沿いの町に住み着いた和人がいる数万人の土地でした。江戸期は松前藩の統治下にありましたが、実状として藩の力が及ぶ範囲は南の渡島(おしま)半島の和人地に限られ、その他の場所には、未開拓の原野が広がっているだけでした。

 北海道の近代文明は、本格的に拓殖が始まった明治時代以降にスタートします。広大な地形は、同じ大自然でも、山や谷が細かく織り込まれた関西や四国の風景とは異なり、私の好きな祖谷の茅葺き民家や、歴史と文化が積み重なる京都、奈良の神社仏閣などからは遠い世界でした。

 同時に、二度目に北海道を訪れるまでの数十年の間に、私は日本の地方のいたるところで過疎化、農業や林業の衰退、無駄な公共工事などの惨状を目にしており、日本ならではの美しい風土が破壊されていることに悲痛な思いを抱いていました。2002年に上梓した『犬と鬼』は、それらの問題に正面から取り組んだ論考で、中でも日本の地方を象徴するさまざまな問題が集約している場所が夕張市でした。08年夏、北海道再訪のチャンスが訪れた時、私は迷うことなく夕張を目的地に選びました。

2008年の夕張で見た、SF映画のような光景

 夕張市は07年に深刻な財政難によって、財政再建団体になった自治体です。背景には一帯を支えていた炭鉱産業の凋落がありました。

 炭鉱の町としての夕張は1960年代が繁栄のピークで、十一万人を超える人口を誇りました。明治期以来、日本のゴールドラッシュの地として大いに賑わいましたが、悲惨な炭鉱事故も多く、70年代に閉山ラッシュが起きるまでに千六百四十三人もの事故死者が出ています。81年には北炭夕張新炭鉱のガス突出事故で九十三人の犠牲者が出て、それ以来、炭鉱産業は急速に縮小し、雇用も落ち込むことになりました。私が訪れた08年当時の夕張市の人口は約一万二千人。最盛期の一割ほどに激減していました。

 80年代当時の市長、故・中田鉄治氏が炭鉱産業の穴を埋めるものとしてぶち上げたのが「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズでした。キャッチフレーズと発想は間違ってはいなかったと思いますが、中田元市長が行った中身は、ハコ物観光施設の建設でした。

 80年代から2003年の中田元市長死去までに、夕張では「石炭の歴史村」「ファミリースクールふれあい(小学校を転用した宿泊施設)」「ゆうばりホテルシューパロ」「ロボット大科学館」「夕張美術館」「ゆうばりマウントレースイリゾート・スイススキー場」「ホテルマウントレースイ」……などなど、驚くほど多くのハコ物が建設されました。

 中でもロボット大科学館は代表とされるもので、私はどうしてもそれを見ておきたかったのです。

ロボット大科学館(アレックス・カー撮影、2008年)

 08年の夕張には不思議な雰囲気が漂っていました。シャッターの閉まった中心街に人の姿はほとんど見られませんが、道路沿いの建物には色鮮やかな映画ポスターがありました。いたるところに飾られたマリリン・モンローや寅さんの大型レトロ風ポスターは、1990年から開かれている「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」にちなんだもので、無人に近い街なのに妙に賑わっている感じもありました。

 不思議な空気の中、ふと動くものの気配を感じて目を向けると、おそらく近くの自衛隊長沼分屯基地のものであろう軍用車両が、幹線道路を走り抜けていきました。何かの理由で一瞬にして全住民が消えてしまったけれども、町の建物だけは残っている。まるでSF映画のような光景でした。

 肝心のロボット大科学館はすでに閉鎖され、デザインの目玉だったドームは錆びついていました。静まり返った町を歩いていると、ファミリースクールふれあいの建物が、看板とともに目に入ってきました。誰もいない建物には、もちろん「ふれあい」はありませんでした。

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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