ディープ・ニッポン 第14回

北海道(2)美瑛、旭川、東川

アレックス・カー

農業と観光の関係を持続させるには

 夕張を後にしてから、私はずっと考え続けていました。炭鉱が消えた後に観光施設が潰れた夕張で、唯一ブランドとして残ったのは夕張メロンという農作物でした。生産量こそ減少傾向にあるものの、夕張のメロン畑はまだ元気です。

 美瑛町の農業は規模が違い、小麦、ジャガイモ、アスパラ、トマト、スイートコーンなど特産物の種類も多く、さらにうまくいっているように見えます。実際、美瑛町では農家一戸あたりの耕作面積も、農業所得総額も北海道の平均をはるかに上回ります。

 ただし、美瑛町でも時代の波である人口減少はまぬかれず、1960年に一万二千七百四十三人だった人口は、2023年には九千五百七十三人と25%の減少を示しています。同期間に夕張の人口減は94%だったことと比べれば、比較的健全な状態ではありますが、後継者問題など持続可能性をおびやかす要素は、北海道のほかの地域と共通するものがあります。

 インスタ映え効果もあり、美瑛町は農業と同時に観光に成功しました。農業景観をベースとした観光促進は、地方として健全な存続法です。残念ながら日本の多くの地方は、乱開発や公共工事などにより農地を汚し、農業景観という観光資源を台無しにしています。その意味で、農業景観がきわめて美しく保たれている美瑛町は観光分野の優等生といえます。

 同時に現在の世界では、そのような地元の努力がオーバーツーリズム問題に直結してしまうという、皮肉な問題がわき起こっています。美瑛町でも大型観光バスで運ばれてきた観光客が、無断で畑に足を踏み入れて農地を荒らしたり、路上駐車が農道を通るトラクターの邪魔になったりと、トラブルが相次いでいます。畑への無断侵入は直接的なダメージだけでなく、病原菌や病害虫による間接被害ももたらします。彼らはSNSに載せる写真を撮ればまた次へと移動し、この土地に対価を落としていきません。

 美瑛では地元の農家の有志が「ブラウマンの空庭。」という農地を守るプロジェクトを行っています。景観を阻害しない木製の看板をビューポイントに立て、私有地に人が入らないよう注意喚起をしつつ、景色を楽しんでもらうという工夫で、志を感じるものです。ただし、それだけでは対応しきれないところもあります。

ブラウマンの空庭看板

 美瑛の丘の連なりは、イタリアのトスカーナの景色を私に思い起こさせました。トスカーナも農業と観光を両立させている地域ですが、私の中に大型観光バスによるツアー仕立てのイメージはなく、個人旅行者が自由に楽しんで回っている印象があります。

 そのイタリアでは産地信仰ともいえるような、根強い地産地消のグルメ志向があります。たとえばトスカーナ産の農産物という大きなくくりではなく、トスカーナの中の特定エリアのトマト、ブドウ、チーズ……と生産者を細かく分類し、それぞれのクオリティを楽しみに行くスタイルです。大量生産ではありませんので、ファンも大勢で押し掛けることはなく、個人間のつながりを大事にして、末永くその地域とつきあおうとします。

 大型観光バスによるダメージに悩んでいるのなら、今後は対価を支払う個人をベースにして、農業と観光の関係を持続させていく方向転換が必要であり、美瑛はその先進地になれると思います。

 夕暮れの美瑛の丘は人だかりが消え、静謐な時間が流れていました。ビューポイントから折り重なる丘の風景に見とれていると、あっという間に日が暮れていきます。雄大な地平線が黄昏に染まる様子を写真に収めて、宿泊地の旭川へと向かいました。

夕暮れの美瑛
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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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