プルーストの『失われた時を求めて』には、地名に関する話が多く登場します。プルーストは音楽、絵画、寺院などと同じくらい地名に執心していました。小さい農村やノルマンディ海岸の漁村の地名についても細かく書いていますし、小説の語り手、つまりプルースト自身がいつも乗っていた田舎の電車の停まる駅を一つひとつ取り上げ、町名の語源や歴史、またその発音が醸し出すイメージなどを長々と語っています。若いころの私はその文章を退屈に感じ、プルーストがなぜそこまで地名に没頭するのか疑問に思っていました。しかし、私自身も歳を重ね、地名には奥深い文化と生命力が秘められていることが、ようやく分かるようになってきました。
旭川から国道40号を使って北を目指すと、人家はどんどん減っていきます。道路脇には防雪柵が延々と続き、北海道内陸部の冬の過酷さがそこから伝わってきます。
40号の途上には、比布町、和寒町、士別市、名寄市、美深町と、いかにも北海道らしいネーミングの場所がネックレスの珠のように続いています。「広島」や「岡山」など、漢字から意味が分かるような地名もそれなりに面白いのですが、徳島県の祖谷、岐阜県の恵那など、「音」を借りて当て字にした地名には、古来の日本語の響きがあり、そこに私はロマンを感じます。
北海道のロマンの原型には、アイヌの文化があります。石狩川が流れる比布はアイヌ語で「石のごろごろしているところ、川」、和寒は「オヒョウニレの木、傍ら」という意味だそうですが、それらの音を聞いただけで、日本とはまた違う北海道を感じ取れるのです。
国道40号は美深町の南側に位置する名寄市あたりから、天塩川という大きな川に沿って敷かれています。総延長二百五十六キロメートルの天塩川は、石狩川に続いて道内で二番目に長い大河であり、平坦な土地を流れるため、水面が穏やかです。ゆるやかな蛇行を繰り返す天塩川を数回、橋で渡りました。私が見た範囲では、護岸工事はほとんどされておらず、ほぼ自然のままの状態でした。コンクリートで固められていない自然の河川は、現代日本ではとても珍しいものです。
オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!