ディープ・ニッポン 第14回

北海道(2)美瑛、旭川、東川

アレックス・カー

過疎ではなく「適疎」なまちへ

 旭川市は北海道第二の都市ですが、ここでも人口減少は進んでおり、1998年に三十六万人だった人口は、現在では約三十二万人です。旭川の中心地である平和通買物公園は72年に日本ではじめて「歩行者天国」を取り入れたショッピングストリートで、いまにいたるまで恒久的に車の乗り入れをシャットアウトしています。

旭川平和通買物公園(アレックス・カー撮影)

 車社会の北海道では、それだけでも特筆に値することですが、幅員が二十メートルと広い平和通は電線も埋設されていて、道沿いには背の高い木々が並んでいます。夜は淡いオレンジ色の照明灯とフットライトが点き、しゃれた空間です。しかし人通りは少なく、夜はほとんどの店が早くに閉まっていました。私たちは幸いにも、地場のおいしいイタリアンレストランを見つけることができました。

 翌朝、旭川から車で約三十分の位置にある東川ひがしかわ町へ行きました。北海道全体で人口減少が見られる中、数少ない例外が旭川の隣町、東川町です。豊かな田園風景に恵まれた東川町は、地方創生の成功例として知られており、私も一度見てみたいと思っていました。

 町に入ると、青々と輝いた畑や水田が広がり、車窓からの眺めも、木々の立ち並ぶところ、葡萄畑、白樺の植林などバラエティに富んでいます。遠方には大雪山の旭岳が望めます。

東川町の田園風景

 東川町は1950年の一万七百五十四人をピークに、94年には約35%減の六千九百七十三人まで人口が減少しています。この減少率は美瑛町など北海道の多くの市町村と同様の水準です。しかし95年からは人口上昇に転じ、毎年四十人ほどの増加があって、2024年現在は八千六百一人です。

 四十人は決して大きな数字とはいえませんが、人口増加は日本の地方では稀少な例です。このように年々ゆっくり増え続けている状況を、町では「適疎てきそなまちづくり」と呼んでいます。

「適疎」という言葉は、69年刊行の『過疎社会』(米山俊直、日本放送出版協会)の中で使われた言葉で、過密でもなく過疎でもない、適当に「疎(ゆとり)」がある状態を示しています。町は07年ごろから、この言葉をまちづくりの理想像として掲げ、自然と農業を大事にしながら、アート(特に写真)、家具、木工などの文化をテコにした地域産業の振興に力を入れてきました。

 その拠点が町の中心にある「せんとぴゅあⅠ」「せんとぴゅあⅡ」です。

 1961年建設の町立東川小学校の校舎を改修した「Ⅰ」には、ギャラリーやコミュニティカフェ、ラウンジとともに、町が運営する「東川町立日本語学校」があります。広い芝生の庭伝いに「Ⅰ」と隣接する「Ⅱ」は2018年に完成した建物で、五万冊の本とともに写真文化、家具デザイン文化、大雪山文化を発信するワンフロアの見通しのよい展示空間になっています。Ⅰ、Ⅱとも低層の建物で、敷地全体が広々としていました。

東川町の「せんとぴゅあⅡ」の建物

 東川町では「写真の町」というスローガンを掲げており、それにちなんで「写真甲子園」という、全国高等学校写真選手権大会も催しています。Ⅰには、カメラの展示スペースがあり、そこに古い型式のカメラがずらりと並んでいました。その中にミノルタの二眼レフカメラ「オートコード」がありました。このカメラは1964年、十二歳だった私が父の赴任で日本にはじめて来て暮らすことになり、一人で日光などあちこちを探検していた時に使っていた機種です。いまでは手にするものはiPhoneに代わっていますが、半世紀以上も前に子供だった自分が愛用していたカメラを見て、懐かしい思いに浸ることができました。

せんとぴゅあで展示されているヴィンテージのカメラたち

人口減少によって得られるメリット

 せんとぴゅあの隣接地には、建築家の隈研吾さんが設計した「KAGUの家」というサテライトオフィスもありました。木工産業で有名な東川を象徴する木造二階建て四棟の建物は、東川町に移住する若い世代の起業家を念頭に作られたそうです。隈さんのサテライト事務所もこの一画にあり、北海道でのプロジェクトの拠点にしていました。

東川町のサテライトオフィス「KAGUの家」

 せんとぴゅあの界隈では、子連れのお母さん、外国人、学生たちをはじめ、幅広い年代の人々がそれぞれにくつろいでいる光景を見ました。建物の周囲には、地場の食材をいま風にアレンジしたレストランやカフェ、自家焙煎コーヒー豆のショップなどが集まり、ほかの町には見られないフレッシュな活気があります。

 町の中心地から、車で十分ほど東に行くと、軽井沢の別荘地のような森の中に「北の住まい設計社」という家具製造会社の拠点もあります。廃校となった小学校の校舎を工房にしており、敷地にはカフェレストラン、雑貨店、家具のショールームが点在しています。いずれもウッディなたたずまいで、自然を感じる心地よい空間になっています。特に木立の中のカフェレストランは雰囲気がよく、北海道全域からファンが訪ねてくるそうです。

 町では地域おこし協力隊で来た人が立ち上げたワイナリー「雪川醸造」もあり、せんとぴゅあ、KAGUの家、北の住まい設計社、町中のカフェなどしゃれた建物やスポットが点在しています。

 旭川市の名前は誰でも知っていると思いますが、東川町はそうではないでしょう。しかし、注目すべき変化が起きているのは東川町の方です。

 日本と同じく人口減少が起こっている欧米では近年「ディポピュレーション・ディヴィデンド(depopulation dividend)」という言葉が、社会学の中で論議されるようになっています。直訳すると「人口減少による配当」であり、人口減少によって得られるメリットに光を当てていこうとするものです。分かりやすい例を挙げると、大都市で人口が減ると、一人あたりの居住面積が広がり、空き地が公園に転用されて緑が増えるといった現象です。

 もちろん現実はそれほど単純なものではありませんが、アメリカ・オレゴン州のポートランドのように、産業の衰退と人口減少をテコに、かつての工場地帯と高速道路を緑豊かな居住地に転換し、新しいライフスタイルを作り出した成功例も世界にはいろいろと登場しています。

 東川町は小さな町ですが、人口減少時代に「適疎」という概念に注目した点で、世界発信が可能な場所だと思いました。

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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