ディープ・ニッポン 第16回

北海道(4)青い星通信社、美深、エサヌカ線、宗谷丘陵

アレックス・カー

純粋潔白、奇跡の絶景

 次の日に宗谷岬へ向かう私たちに、星野さんは二つの場所を勧めてくれました。一つは同じ美深町内にある清水集落、もう一つは稚内へ向かう途中、オホーツク海の沿岸にある道路「猿仏さるふつ村道エサヌカ線」です。

 翌朝は早起きして朝食を済ませ、最後に宗谷本線を撮ってからすぐに宿を発ちました。

宗谷本線の線路

 国道をしばらく北に進み、脇道に入り小高い丘をのぼった先に牧草地が広がっていました。その中には人家数軒、どうやらここが清水集落のようです。集落のそばには清水小学校の跡地がありました。看板の情報によれば、この学校は1917年に辺別毛内ぺぺけない特別教授場として開校し、その後清水小学校に改名、81年に閉校となったようです。村の重要な歴史の一部としていまもこうして残ってはいますが、跡地にあるのは入り口の門と思しき柱二本のみ、門の先はアスファルトが敷かれ駐車スペースになっていて、周りには何もありません。なんともいい難い切なさを感じさせる光景でした。

美深町の清水小学校跡

 再び国道40号まで戻り北上を続けると、徐々に畑が減り、牧場が増えていきました。草むらで牛の群れがのんびり横たわっていて、長閑な田園風景でした。しかし、美深以北の地の冬は過酷なはずです。道路沿いのバス停には吹雪をしのぐための壁が付いて個室になっていました。

国道40号にあるバス停

 本来、美深から北端の宗谷岬へは一本の国道をまっすぐ北上していくだけで辿り着けますが、オホーツク海に面した浜頓別はまとんべつの市街地まで来たところで、国道を外れ、エサヌカ線のある海寄りの道路に入りました。

 エサヌカ線は浜頓別町の隣町、猿払村の村道です。急な曲がり角を曲がってエサヌカ線に入った途端、圧巻の景色が飛び込んできました。それは、これまで日本で見てきた道路とはまったく異なるユニークなものでした。

エサヌカ線

 空の下、まっすぐ地平線まで続く一本の道。周囲は見渡す限り牧草地に囲まれていて、電柱や電線、看板もガードレールもありません。あるのは道路一本だけ、その道の中程から先は水のような銀色の蜃気楼が揺らいでいて、日本というよりアメリカ西部のフロンティアにいるような感覚でした。

 エサヌカ線の景観の維持は、美瑛以上に徹底されていて、純粋潔白、奇跡というしかありません。今回の旅の中で最高の喜びを覚えた場所でした。

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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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