ディープ・ニッポン 第16回

北海道(4)青い星通信社、美深、エサヌカ線、宗谷丘陵

アレックス・カー

押し寄せるリワイルディング(再野生化)の波

 エサヌカ線を抜け、数キロ先で再び幹線道路に合流するころには、フロンティアは消え去り、ありふれた景色に戻っていきました。さらに、宗谷岬に近付くにつれ、道路沿いでも法面工事や港湾工事が一気に増えてきました。宗谷岬は日本最北端の地で、ロシアのサハリン島から43キロしか離れていないので、国防の目的もあって集中的に開発を行っているのでしょう。

 宗谷岬はごく普通の観光地で、大型バス駐車場に隣接して、三角錐のモニュメント「日本最北端の地の碑」が建っていました。

宗谷岬のモニュメント

 ここで私たちの興味を引いたのは、モニュメントではなく、岬の背後に広がる広大な宗谷丘陵でした。

 美瑛の丘をはじめ、北海道には丘陵地が多く見られますが、宗谷丘陵は「周氷河地形」という特殊な地形を示しています。これは「凍結融解作用」という、地中の水が凍ったり溶けたりを繰り返す寒冷地特有の現象によって作られたランドスケープのことです。丘の上の方は美瑛のように緩やかな丸みがありますが、下は急斜面の深い谷になっています。昔は北海道のほかの場所でも見ることができたようですが、開発などで失われ、しっかりした状態で見られるのは現在では宗谷岬だけといわれています。

 凹凸が続く丘陵の凸部分には牧草とおよそ三千頭の放牧牛がいるそうです。凹部分の斜面は笹に覆われて、木はほとんどありません。一見、自然の風景に見えますが、これは人間の手によって作られた二次的な自然です。江戸時代の中ごろまでは丘陵に森林がありましたが、幕末以降、伐採によって森は弱っていきました。山火事も増え、1911年に起こった山火事では、宗谷岬北部のほとんどの木が焼かれてしまいました。極寒の北海道北部では木の再生に時間がかかることもあって、現在は牧草と笹ばかりの眺めになっています。

宗谷丘陵(アレックス・カー撮影)

 話題は丘陵から無人島に移ります。私たちが「青い星通信社」に宿泊した日は、ちょうど星野さんが構成を担当した『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(岡田敦、インプレス刊)という本の刊行日でした。ユルリ島は根室半島の沖合に浮かぶ小さな島で、野生の馬の群れが生息しています。国の指定で一般人の立ち入りは禁じられていますが、著者で写真家の岡田敦さんは特別な許可を得て、2011年からユルリ島に通い、馬や島の様子を記録しています。

 かつてユルリ島には昆布の干場を営む漁師が住んでいて、断崖に囲まれた島に昆布を上げ下げする目的で馬が持ち込まれました。馬の餌になる笹が豊富で、かつ島の中央に高層湿原があったため、漁師は早い段階から馬を放牧していました。しかし昆布の干場が本土へ移されると、住人は徐々に減り、1971年、ついに島は無人島となります。人間が去った島に残された馬は野生化していきました。本土から何度か新しい馬を連れて行ったりもしましたが、個体数はどんどん減って、現在は数頭を残すのみです。そのような背景もあってか、岡田さんの撮影した白い馬が自然の中を駆ける光景は、とても幻想的でした。

 ユルリ島の自然は、厳密にいえば純粋な自然ではありません。古くから人間の暮らしていた土地で、江戸時代にアイヌが居住した記録も残っています。無人島になったことで、馬が野生化し、海鳥は繁殖、高層湿原も元気を取り戻しており、自然再生の場に変わりつつあります。

 ユルリ島で起こっている出来事は、近年ヨーロッパで急速に進む「リワイルディング」(rewilding=再野生化または再自然化)の活動に通じるものがあります。リワイルディングとは、人間によって作られた農場などの環境を開発前の状態に戻し、人間を除いたエコシステムに託す試みです。

 イギリスでは大きな農場の牛を放し、畑の耕作を止め、芝生や植林の手入れを控え、かつて生息していた動物類を再導入することで、新しい野生的環境を作ろうとしている場所が少なくありません。そうした背景には、自然環境への意識が高まったこともありますが、やはり人口減少が進んだことが大きく影響しています。特にスコットランドなどの田舎では、日本と同じくらい高齢化が進んだことで居住人口が減っていて、無理に抗うより健全な自然に戻していく方が良いという考えが広がっています。

 日本の場合、この発想には強い抵抗があると思います。なんとか農業と林業を保護しようと、国はさまざまな対策を練り、必死に補助金をばら撒いています。しかし、はからずも現場ではリワイルディングが起こっています。

 田舎へ行けば、耕作放棄地に雑草が生い茂り、空き家には蔦が這い、管理が間に合っていない植林地では木が倒れて、鹿や猪などの動物が町に入ってくることも増えています。日本でもリワイルディングの波がとめどなく押し寄せていますが、イギリスのように専門家の分析や指導、監修によるものではなく、それは放置とカオスの中で進んでいます。

 今回の旅は夕張から始まって、美瑛びえい、旭川、音威子府おといねっぷ、そして美深と、人口減少の問題に悩まされる地域を多く見てきました。

 地域再生の成功例とされる「適疎」の東川でさえ、年間で数十人増える程度です。今後の北海道で、リワイルディングは一大課題になることでしょう。野生の馬、キツネやオオカミなどの生き物を、人のいなくなった大地に戻して、自由に生かすのもいいと思います。それによって土地は元の雄大な自然に生まれ変わるのかもしれません。

 丘陵の高台から半島西側の海岸へ下り、稚内空港から東京へ飛びました。夕張の試練、美瑛の田園ロマン、音威子府で見たビッキによるアイヌ芸術、美深にたたずむ星野さんの宿、奇跡のエサヌカ線。北海道の大地によって紡がれる物語には、絶望もあれば希望もある。そんな思いを抱きながら、飛び立つ飛行機の窓から眼下の景色を眺めました。

(北海道編終わり)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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