ディープ・ニッポン 第17回

徳島(1)

アレックス・カー

「傾斜地農耕システム」の眺め

 80〜90年代にかけて、私は大阪の友人、喜多さとしさんの運転でよく祖谷へ通っていました。当時は東の貞光さだみつ(現・つるぎ町)から祖谷へ入るルートを使っており、道中に見た険しい渓谷の美しさが頭の片隅に残っていました。

 もともと貞光から剣山にかけては半田町、貞光町、一宇いちう村の三町村がありましたが、2005年に三者が合併し、現在の「つるぎ町」となりました。吉野川流域の半田、貞光は比較的平坦な土地が広がっていますが、旧・一宇村へ近付くにつれ、私にとって馴染み深い祖谷川の急峻な雰囲気に変わっていきます。急傾斜の谷間には手つかずのままの貞光川が流れています。川底の青い阿波石が水面をエメラルド色に染め、両岸の崖にはふんわりとした樹形の広葉樹が茂っています。

貞光川

 作家のプルーストが本の中でたびたび「地名」について取り上げて深掘りしていたこと、私も北海道で比布ぴっぷ音威子府おといねっぷなどの地名が目に留まったことは、北海道編で述べました。このあたりで用いられる「一宇」という地名にも、はじめて祖谷を訪れたころからずっと興味を持っていました。「宇」は「宇宙」を連想させ、浮世離れしたイメージがあります。実は西祖谷の、旧・西祖谷山村の役場があったところにも「一宇」という地名の地区があります。西祖谷の一宇とつるぎ町の旧・一宇村は、私には双子のように感じられます。別のバリエーションとして西祖谷の一宇には櫟生いちう小学校もあります。元々は「一宇」小学校という表記でしたが、山向こうにある旧・一宇村の小学校とバッティングさせないためか、1909年に「櫟生」と漢字を変えています。

 旧・一宇村へ続くトンネルの前には「巨樹王国一宇」と書かれた大きな看板が立っています。そこには日本一の大エノキ、四国一のアカマツなど、たくさんの木の名前が連なっています。きっと櫟(クヌギもよく見られた地域なのでしょう。

 トンネルを越えると「土釜どがま」という峡谷が見えてきます。切り立った崖によって貞光川が幅1、2メートルの狭地に押し込まれ、川辺の岩は急流を受けて丸みを帯びています。川の上には苔むした枝や緑の葉が密集していました。

土釜

 土釜からクネクネした山道を進んで猿飼さるかいという集落まで登ると、祖谷とよく似た険しい傾斜地の光景になります。同行の写真家、大島淳之さんは屋久島の猿の写真で、ロンドン自然史博物館主催の国際的な写真賞を獲得していたので、この名前に縁起のよさを感じました。

 猿飼集落のある、つるぎ町の人口は八千人足らずで、そのほとんどは北の吉野川流域に集中しています。急峻な山間部は、祖谷と同じく大変な過疎地帯です。この猿飼集落にあるそば畑は18年に国際連合食糧農業機関(FAO)によって世界農業遺産に認定されています。そば畑は、車から降りてはるか下を見ないと視界に入らないような傾斜地に広がっています。これは、つるぎ町から祖谷の「にし阿波(西阿波)」地域一帯で昔から見られる典型的な「傾斜地農耕システム」の眺めです。

傾斜地の眺め

 日本の山は本来、神が支配する領域で、神社やお寺はあっても、人が住むことはありませんでした。人家は山の麓に集まっていて、そこから平地にかけては田んぼや畑が広がります。しかし、ほとんど平地のない西阿波の山間部では、人は山に家を構えなければなりませんでした。生活の基盤となる農業においては、地質が水田に向かず棚田が作りにくいため、傾斜地を耕してタバコやトウモロコシ、粟、きび、ミツマタを栽培していました。現在はそばや芋が中心になっています。

 私が祖谷で篪庵を購入したころ、近隣の人たちはみな急斜面で農業を営んでおり、傾斜地農耕システム特有の知恵を持っていました。私も篪庵の隣の空き地に芋を植えたことがありますが、ボランティアが地面を耕している時に、隣に住む尾茂おもさんのおばあさんから「土を掘る時は、斜面にスコップを挿して、下側ではなく、上へ上へと掘り起こさないといけない」と教わったことを、よく覚えています。

 猿飼のそば畑は現在、一組の老夫婦が管理しています。ちょうど近くで奥さんの西岡田節子さんが働いていたので、声をかけてみたら、手を休めてそば畑を案内してくれました。世界農業遺産の認定審査でこの地を訪れていたFAO委員の、あん・まくどなるどさんは、この場所に感動して視察後もなかなか立ち去らなかったそうで、そのようなことを誇らしげに説明してくれました。

西岡田節子さんとそば畑

 その時のまくどなるどさんは、私が五十数年前にはじめて祖谷の畑を目にした時と、同じ気持ちに浸っていたのではないかと思います。私たちが訪れた九月、秋が近付くそば畑には赤とんぼがたくさん飛び交っていました。

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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