平家伝説の秘境と巨木
猿飼集落から土釜に戻る途中に「鳴滝」という滝があります。近寄ってみると、数日の雨で勢いを増した水が、滝壺に向かってごうごうと流れ落ちていました。
土釜周辺は「一宇峡」と呼ばれ、祖谷峡より小ぢんまりとしていますが、豊かな原生林に覆われて、川底の阿波石には緑青の絵の具で描かれた昔の日本画のような雰囲気があります。残念ながら、現在の祖谷は公共の土木工事とスギ植林が進み、無垢な自然は残っていながら、その景色は次第に人工物に侵食されています。つるぎ町の一宇は、公共工事が入り込む以前の祖谷に見えました。
途中から貞光川の支流である瀬開谷川に沿って山道に入っていきます。道中に「王太子神社」という小さな神社があり、社へと続く苔むした階段の周りは森閑とした森になっていました。
今回、はじめてこの神社の存在を知りましたが、伝承では古く源平合戦まで遡るようです。神社に掲げられていた説明によると、王太子神社の名は「大田石(逢うた意思)」に由来しているとのこと。屋島の戦いに敗れた平家の残徒、平教経は八歳の安徳天皇を連れて祖谷へ逃れました。天皇の母君であった建礼門院の依頼を受け、妹の臈の御方が祖谷へ向かいますが、敗走で疲れ果てた身にはあまりに遠く、安徳天皇に「逢うた」ことにならず(会ったという説もある)、この場所で自害しました。
歴史では安徳天皇は壇ノ浦で入水したことになっていますし、平教経や臈の御方が実在していたかも定かではなく、この話にどれだけ信憑性があるかは疑問です。しかし祖谷には平家の子孫、阿佐家の「平家屋敷阿佐家住宅」があり、そこには「平家の赤旗」が伝わっています。東祖谷には安徳天皇のお墓といわれる「栗枝渡八幡神社」と、その安徳天皇を荼毘に付した「御火葬場」もあります。ここでは安徳天皇は平教経とともに壇ノ浦から落ちのびて、祖谷に潜んだことになっているのです。そのような落人伝説を耳にし続けてきた私にとって、平教経の祖谷逃れや、安徳帝のお墓などは身近なものでしたが、つるぎ町にも平家伝説があることは知りませんでした。しかし考えてみれば不自然なことではありません。西阿波全域が秘境であり、俗世からの逃避に適した場所だったのです。
王太子神社でいちばんの特徴は巨木です。青森編では「古木・巨木」を訪ね歩きましたが、私は旅の中でいつも面白い木を探しています。神社の境内には、スギの巨木が三本と、幹周り5.5メートルの立派なケヤキが立ち並んでいます。ケヤキは森の王者です。幹は高くまっすぐ天に伸び、枝の線形はゴシック寺院に見られるようなゆるやかな曲線を描いています。幹が非常に硬く、木目が美しいことから、京都の妙心寺や東本願寺の柱にも使われています。
明治時代までは、このようなケヤキの森が北海道と沖縄をのぞいた日本全土に広がっていました。しかし、明治期以降は全国的に伐採されてしまったため、これほど立派なケヤキはいまでは珍しくなっています。王太子神社のケヤキは、幹に大きな樹洞があり、スギに劣らぬ高さがあるので、きっと樹齢数百年にはなることでしょう。すぐそばにあるイチョウの老木は、枝を広く張り巡らせ乳根を垂らしていました。山奥にひっそり佇む神社の境内に、日常ではなかなか出会えない立派なケヤキ、スギ、イチョウが三本揃っていました。
しかし残念ながら、これは徳島の常態ではありません。徳島県の植林率は全国六位に数えられ、森林の60%を人工林が占めています。一宇峡周辺にこそ自然林が多く見られますが、山側は植林が目に付きます。特に一宇の東隣、美馬市木屋平地区(旧・木屋平村)は林業が盛んで、王太子神社から木屋平方面に進むにつれて、原生林が減って植林のスギが増えていきます。
急カーブが連続する細い山道に人家はなく、一時間以上走っても、すれ違う対向車は一台もありませんでした。長い山道を下ると旧・木屋平村の中心地が見えてきました。中心地にある「新八幡神社」の境内では「八幡の大杉」という巨木を見ることができました。また地名の話になりますが、南北朝時代創建の歴史ある神社であるにもかかわらず、名前に「新」の字がついていることを不思議に思い、調べてみたら、旧・木屋平村には七つも八幡神社があるとのこと。そのためにここが「新」として区別されたのかもしれません。
海外でも「新」の付く地名は新しいものとは限りません。ニューヨークは四百年、オックスフォード大学のニューカレッジは六百五十年、ネアポリス(「新市」の意味でナポリのこと)にいたっては二千五百年もの歴史があります。
八幡の大杉は推定樹齢六百年~七百年、周囲8.7メートル、樹高30メートルの貫禄ある御神木でした。太い幹の根本は苔に覆われ、人間の命よりはるかに長い歳月を目の当たりにしました。
(つづく)
構成・清野由美 撮影・大島淳之
オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!