ディープ・ニッポン 第19回

徳島(3)

アレックス・カー

「桃源郷」の空気が残る土地

 今回の旅で滝をテーマに選んだ背景には、いうまでもなく徳島県特有の地形と気候が挙げられます。徳島の冬は寒く、祖谷では雪も降りますが、私の中での徳島には「南洋」のイメージがあります。篪庵の前にはヤシの木が生え、祖谷街道の道沿いには芭蕉も育っています。阿波の山は基本的に湿気のある密林の気候で、ハワイやタヒチと同じように、豊富な水が山を削り急傾斜の渓谷ができたことで、無数の滝が誕生したのです。

 山の多い日本の中でも、これほど深く複雑に浸食した地形は珍しく、一度奥へ入ると出られない迷路の地が徳島です。それゆえ、祖谷と西阿波地方は秘境になったのです。この旅で訪ねた木屋平の忌部氏子孫の三木家、旧・一宇村の平家落人おちゅうどに限らず、それ以前からこの地域は時代の敗者の逃げ場となっていました。

 歴史上、祖谷について最初に言及があったのは奈良時代で、徳島の地誌『阿波志』には、「十七人の巫覡ふげき(神おろしをする女性と男性)の一部が土佐に流れる道中、祖谷に姿を消した」という記述があります。(『祖谷山歴史探訪』多川春武、徳島県教育会 1971年11月3日、p. 222)

 交通の極めて不便な地で、19、20世紀の開発から漏れた山間の集落には、他の地域からはなくなった風習が残り、時間の流れが止まったタイムマシーンと化していました。明治時代、祖谷の人たちはほとんどが自給自足、たまに山の尾根を通って池田の町に炭を担いで行くくらいでした。実際、70年代初頭に私が出会った祖谷の人たちは、茅葺き民家の中で囲炉裏を囲んで生活を送り、草編みの蓑を身に付け、傾斜地農耕システムで芋やそばを栽培していました。祖谷の篪庵の近くに住んでいたおばあさんからは、「山から降りたことがない」という話を聞きました。そこは外の世界と断絶された小宇宙だったのです。

 もちろん現在の祖谷と、西阿波の山間部は当時とは違います。茅葺きの屋根は減り、囲炉裏が消えた一方で、スギ植林と公共工事が増えました。しかし、独特な地勢から作り出される「桃源郷」の空気はいまも失われることがありません。その象徴が滝です。雨の多い亜熱帯のような気候と複雑な地形により、徳島の谷間にはたくさんの滝が潜み、その形状はバラエティに富んでいます。

 規模でいえば熊野古道の「那智の滝」や日光の「華厳の滝」の方がはるかに大きいものですが、雨や霧によって奇形に削られ、苔むした徳島の滝にはそれらとは異なる趣があります。那智の滝や華厳の滝が華やかな「表舞台」だとすれば、徳島の滝には祖谷と西阿波一帯の秘境エッセンスが凝縮しており、私が惚れこんだ桃源郷の名残があるのです。

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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