皮革と製靴の町・西成
靴づくり部を呼び掛けるにあたって、大山が何より生徒たちに知ってほしかったのは、この地における先人たちの歩みだった。
2022年7月28日、1学期最後の「反貧困学習」のテーマは、「地域の製靴産業を知ろう」。大山が講師となって、1年生の前に立った。
日本における皮革産業は、被差別部落が行う生業として発展してきた経緯がある。西成の靴産業もまた、そうした歴史を背負っている。現在の浪速区にあった「渡辺村」は江戸時代より、西日本における皮革産業の中心として栄えたが、多くの被差別部落の人たちが仕事を求めて居住するようになったことで、南に隣接する西成地区にも人が押し寄せ、皮革産業は西成の地場産業となっていった。
1960年代には西成の製靴産業は近畿一円に商圏を誇り、70年代には500件のメーカーがあったと言われ、全体のおよそ9割が婦人靴を作っていた。だが安価な外国製品の輸入や機械化、職人の高齢化などでどんどん規模が縮小し、斜陽化して今に至る。
こうした中、西成の伝統である手縫いの製法を残すため、1999年に作られたのが「西成製靴塾」だった。
大山には、何より生徒たちに知ってほしいことがあった。それは、先人たちへのリスペクトだ。
「昔からこの辺で皮を作ってきた人たちが、いろんな苦難がありながらも伝統を脈々と守ってきた歴史のおかげで、僕らは今、当たり前に靴づくりをすることができているのです。この土壌を守り続けてくれた先人に感謝することは、西成の靴づくりには絶対に外せないことです。先人に感謝するところから、靴づくりを始めていきませんか?」
大山は、1年生に呼びかけた。
「僕が今日来たのは西成製靴塾の場所を使って、世界初の靴づくりクラブっていうものを西成高校に作りたいからです。来月、ワークショップをやりますから、興味のある人は来てください」
ここに、「NSC」のタネが撒かれた。
そして2学期、生徒たちは「西成学習」として被差別部落の人々へのさまざまな差別が、歴然と今もあるという現実と向き合うこととなった。