1年目を終えて
<反貧困学習バージョン2>の1年間の授業を、この学習を主導した肥下彰男は振り返る。
「自分が思い描いたような“対話”を重視した学習になったのは、良かったと思います。シングルマザーの学習とか当事者の子だからこその視点があり、一方、同じクラスで学んでいる子が当事者の子の想いに触れることによって、今、日本社会が抱えている課題に気づいて、こうしたほうがいいんじゃないかと、ちょっと違う社会のあり方を探し始めるきっかけとなった学習ができたかなと思いますね」
生徒たちはなぜ、自己責任論に流れることはなかったのだろう。あまりにも自己責任論に溢れている「今」だからこそ、毎回、驚きだった。
「彼らはネットの影響をすごく受けているし、ひろゆき的な人に憧れる子たちは多いのですが、1学期の最初から、国民の生活を最低限保障するのは社会の責任であるということや、基本的人権の学習を結構やってきたから、自己責任論にはいかなかったのかなと思います。これが、たとえば西成差別などを抽象的な平等論で語ってしまうと、そちらへ絡め取られる要素となったかもしれません」
生徒たちは他人事ではない、自分に直結するものとして、さまざまな社会問題について向き合い、考えてきた。
「差別の問題もそうですが、いろいろな社会問題を考えて行く中で、許せないことについては怒りを持てるということ。同時に、その人たちが持っている価値観に対してはリスペクトできるということ。この大事な2つがあって、たとえば、この靴づくり部では西成にこの産業があることを誇りに思って、彼らは靴を作っている。もう、ここが彼らの居場所となっているわけですから」
抽象的な“お勉強”ではなく、自分と地続きの問題として、15歳が初めて向き合った日本社会のさまざまな課題。教室の片隅で毎回、目の当たりにしたのは、理不尽なことへの真っ当な怒りと、当事者の思いに真剣に向き合おうとする真っ直ぐな眼差しだった。シングルマザーとして、自己責任論に傷つけられてきた当事者である我が身にとってはうれしい発見であったと同時に、生徒たち自身が社会のさまざまな問題を自ら考える、“主体”となって行くありようにも触れることができた。
貧困の連鎖を断つ、今までにない手法に“希望”の一端を見た思いだ。
取材・文・撮影/黒川祥子