現代社会と向き合うためのヒーロー論 第1回

中年ヒーローたちの分かれ道|『トップガン マーヴェリック』『オビ゠ワン・ケノービ』

河野真太郎

一抹の不安と『オビ゠ワン・ケノービ』への失望

 ここまで書いたことは私の偽らざる感想だったのだけれども、映画鑑賞直後の興奮の波がしぼんでいくのに応じて、私の中では一抹の不安がムクムクと育っていった。

 その不安とは、私のような中年男性観客が、この作品に「エンパワー」されすぎるのではないか、という不安だ。

 『トップガン マーヴェリック』では、還暦を迎えようかというトム=マーヴェリックが、なみいる若き戦闘機乗りたちを遙かに凌駕する操縦・戦闘技術を披露し、最終的には単なるベテランの教官としてではなく、現役の即戦力として彼らをリードしていく。これを観た中年男性たちは、大いにエンパワーされたことだろう。「オレもまだまだやれる」、と。

 心配なのは、この映画を観てその気になってしまった人びとが、現実世界にそれを持ち帰って、次の日から職場で“マーヴェリック”になってしまわないか、ということだった。「若いヤツらなんかにはまだまだ負けないぞ」、と。そんなことが起きたら、目も当てられないことになるのは火を見るよりも明らかというものだ。

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 そのような心配と奇妙に、対照的に響き合う作品が、『トップガン マーヴェリック』と同時期に公開された。配信サイトの「Disney+」で2022年の5月から6月にかけて配信されたドラマ『オビ゠ワン・ケノービ』(全6回)であった。 

 オビ゠ワン・ケノービは、スター・ウォーズシリーズに登場する、ジェダイの騎士のひとりである。最初に公開された『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年)で、悪役のダース・ベイダーの刃に倒れることで、主人公ルークたちの道を切り開く。

 その後1999年から公開されたエピソード1〜3で、わたしたちは若きオビ゠ワン・ケノービの活躍を目にすることになった。エピソード4ではアレック・ギネス(故人)によって演じられ、白髪の隠居老人という感じだったオビ゠ワン(ベン)は、エピソード1〜3では若々しいユアン・マクレガーによって演じられた。

 とりわけ、オビ゠ワン・ケノービのファン(私もその一人だ)にとって印象深いのは、『エピソード3/シスの復讐』(2005年)におけるグリーヴァス将軍との対決だろう。左手の二本指を前に突き出し、ライトセイバーを側頭部から前に向かって持つ「構え」は若きオビ゠ワンの象徴だ。ちょっとむずかゆくさえなるこの決めポーズは、ある種のやんちゃさと、若く力のみなぎるジェダイの自信がないまぜになったものであった。

 エピソード3の結末では、ジェダイ騎士団が虐殺されて崩壊し、オビ゠ワンはダークサイドに堕ちてしまったアナキン・スカイウォーカーと最後の対決をし、勝利する。オビ゠ワン・ケノービは、アナキンと、惑星ナブーの女王パドメの間に生まれた双子のうち、ルークを辺境の星タトゥイーンに隠し、自らもジェダイとしての力を封印して姿をくらまし、希望の星であるルークを遠くから見守ることになる。

 ドラマ『オビ゠ワン・ケノービ』はそんなエピソード3の10年後を舞台とする。若きオビ゠ワンが躍動したエピソード3が製作されてから17年。私は、彼のどんな姿が見られるのかと期待に胸を膨らませた。

 しかしその結果は、落胆であった。10年という歳月以上に老け込んだオビ゠ワンは(それは別に、ユアン・マクレガーが17歳年を取ったからではないだろうが)、ライトセイバーもフォースも手放し、砂漠で食肉(魚?)を解体する日雇い労働に従事している。

 ドラマ本体は、オビ゠ワンが、惑星オルデランの王室オーガナ家にかくまわれていたルークの双子で誘拐されたレイアの救出に向かい、その過程でダース・ベイダーへと変わり果てたアナキン・スカイウォーカーと対決するというものである。

 だが、そのオビ゠ワンがとにかく弱い。その弱さを、宇宙全体でダークサイドの力が強まっていることや、オビ゠ワンが身分を隠すために戦闘訓練やフォースの訓練を10年間行っていなかったことに帰するのは確かに可能である。だが、戦闘力がないだけではなく、自信を喪失し、人並みに怖がったりいらだったりする。

 そんなオビ゠ワンの姿を毎週見せられるのは、正直に言って苦痛でしかなかった(この我慢は結末においては少し報われるのだけれども、それにしても、である)。

 かつての若々しいヒーローとしてのオビ゠ワンは姿を消し、そこにいるのはやつれた中年男性であった。とりわけ私のような観客にとって、それは鏡をのぞき込んでいるような苦痛だった。

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第2回  
現代社会と向き合うためのヒーロー論

MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。

プロフィール

河野真太郎

(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。

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中年ヒーローたちの分かれ道|『トップガン マーヴェリック』『オビ゠ワン・ケノービ』