現代社会と向き合うためのヒーロー論 第1回

中年ヒーローたちの分かれ道|『トップガン マーヴェリック』『オビ゠ワン・ケノービ』

河野真太郎

なぜ『トップガン マーヴェリック』は成立したか?

 もしそれが正しいとすれば、『トップガン マーヴェリック』のような映画が大成功を収めた秘訣である「忘却力」によって力強く忘却されているのは、そのような従属化した男性性の現実だろう。その魔法のような忘却力が何に由来しているのかについては様々な指摘ができるだろうが、なんといってもトム・クルーズという希代の俳優の力によるところが大きい。

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 次回以降により詳しく論じられればと思うが、人類の長い歴史においてヒーロー(英雄)というものは共同体の外側に出る、もしくは共同体の外側からやってきて、その共同体に何らかの変化をもたらす、外的な触媒のような存在であった。

 「マーヴェリック=一匹狼」というコードネームはまさに彼が共同体の外側にいることを意味しているし、その意味でかれはヒーローの典型である。だが、最終的に彼が共同体にもたらす変化とは何か? そう考えると、彼にはヒーローとしての重要な要素が欠けているようにも見える。

 『トップガン』シリーズは、共同体の物語というよりは、どこまでも希代の俳優であるトム・クルーズという個人の物語であるからだ。

 ここで私が言う共同体とは何だろうか? これはもちろん難問であるし、ひとつだけの答えがあるわけではない。しかし、本連載を始めるにあたって述べておきたいのは、ヒーローそのものが共同体の価値観や法に変化をもたらすのと同時に、「ヒーローもの」、つまり作品そのものもまたそのような変化をもたらすものとして見るべきだということである。

 『トップガン マーヴェリック』については、私はこの作品が語りかける共同体の、従属化した男性性に関する現実を、覆いかくしてしまっていないかと危惧するのである。

 逆に、現代のヒーローものは、グローバルな商業市場で売れながらも(もしくは売れるがゆえに)現代の私たちの共同体・社会のさまざまな価値に取り組み、影響を与えている。それは今回触れた加齢の問題、障害、女性性と男性性、多文化主義と人種的多様性といった主題であるし、ポスト・トゥルースという言葉で表現されるような現代のポピュリズムにも対峙している。

 本連載では、新たなヒーローたちが、私たちの社会のいかなる変化を反映しつつ、私たちに何をもたらそうとしているのか、検討していきたい。ヒーローたちをどう読むかという問題は、私たちの社会をどう読むかということに直結していくだろう。(つづく)

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第2回  
現代社会と向き合うためのヒーロー論

MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。

プロフィール

河野真太郎

(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。

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中年ヒーローたちの分かれ道|『トップガン マーヴェリック』『オビ゠ワン・ケノービ』