平成消しずみクラブ 第8回

銀杏

大竹まこと

 皆、この世からの逃亡者のようだ。
 この社会に座席がないのは、若者ばかりではないように思うのだが。
 しかし、他人の評価(いいね!)がすぐに、跳ね返ってきて、社会の中でどれだけの濃度で自分が存在しているかを計測するのは、「空虚な承認」を求める若者たちや銀杏並木に集まってくる人々だけなのか。
 冷たい汗が脇を伝った。
 私の商売は何か。「いいね!」を一番に欲しているのは、テレビの視聴率、おのれの評判、自分の評価を人の手にゆだねているのは誰だ。
 岬に立って、好きな台詞を海に向かって叫んでも、何も返ってはこない。
 右にも左にも傾くことのできない不安定な尾根を恐(こわ)々(ごわ)と歩いてきたのは私ではないのか。
 観客の一人が「あいつは終わった」と呟けば、伝染病のように言葉が拡がる。
 私のような中途半端な芸人が生き延びてこられたのは、インスタグラムなどのSNSが今のように開発されていなかったからなのかもしれない。
 まったくネットによってあやうく自分の存在まで疑ってしまうようで恐い。しかし、それが現代の一側面でもあるのだ。
 一方、ブロガーで作家、一九八六年生まれのはあちゅうさんは、宮台さんと同じ新聞内で「生き方にもつなげる世代」のタイトルで、まったく別の見方をしている。
 若い人たちには、ネットがリアルと同じか、それ以上に大事だという。
 リアルなコミュニケーションしかなかった時代と違って、ネットを通じて、友達の新たな一面を知ることができる、とむしろネットのほうがよりリアルだと話す。
 私のツイッターには、十六万人のフォロワーがいます、実物の私に会ったことがある人は少ないけれど、この十六万人の人たちは毎日どこかで私のツイートを目にしている、と続く。
 私たちは日常生活でもネットとリアルを何度も行き来している、という。
 確かにそうだ。

 さて、私の作文を読者の方はなんと受け止めただろう。
 ジジィが何をほざくかと思われた人もいるだろうし、「まったくだ」と膝を打つ方も少しはいてほしい気持ちだ。
 いずれにせよ、若い人たちははあちゅうさんのように、スイスイと時代を泳いでほしいと思う。
 都市にこれだけ緑が少なくなったのも、誰のせいだとか、声を荒らげるつもりもない。たぶん私たちがそれを選択してきたのだ。
 ちょっと田舎に行けば、日本は山だらけであり、きれいな川も流れている。夏など息苦しいほどの緑に囲まれる。
 絵画館前の喧噪など、一時のことで、また以前のように静かな日常が戻ってくるかもしれない。鳩やカラスと老人だらけ。それはそれであまりよろしくない。
 いや神宮外苑は銀杏だけではない。手前の高速の出口を左に折れれば、春にはそこに見事な枝(し)垂(だれ)桜(ざくら)が何本か花を咲かせる。
 若い者も年をとる。
 新しいツールは古くなる。
 いいものだけが残って、それを手にネットと日常を行ったり来たりしてほしいと思う。
 もちろん、私はそれを何処からか見ていたい。

 

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平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

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