百田尚樹をぜんぶ読む 第5回

百田尚樹は震災後に「転向」したのか?

藤田直哉×杉田俊介

【藤田】いずれにせよデビュー作の『永遠の0』が、そもそも、そのような歴史観に基づいています。特攻隊は愚かで狂信的な愛国者だった、と語り手である青年も最初のうちは信じているんだけど、色々な人の証言を聞く中で、「洗脳」を解かれて歴史の「真実」に目覚めていく。そのダイナミズムが魅力の核にある、そういう小説ですよ。

 たとえば、作中では、朝日新聞を連想させるような新聞記者とディベートしたりもしていますね。百田の朝日新聞嫌いは有名です。

CORA / PIXTA(ピクスタ)

『永遠の0』の小説としての構造そのものが、そのまま、戦後の自虐史観を脱却して真の歴史に目覚める、というネトウヨや保守の論調と同じなんですよ。僕はだから、杉田さんとは異なり、百田が小説の中で最初から書いてきたことと、近年の彼の保守思想は、じつはそれほど乖離していない、と考えています。 

【杉田】藤田さんは「転向」はなかった、という立場ですね。ただ、小説作品の方がやはり深みがありませんか。つまり、一つの価値観を相対化してそれを立体的に見たり、あるいは人間の中の矛盾した欲望を描いていったり。

【藤田】そうですね。 

【杉田】特に気に入った作品などはありましたか?

【藤田】僕としては、百田尚樹のすべての作品の中で、『錨を上げよ』がいちばん好感が持てました。 

 というのは、生まれ育った大阪の環境のことなどを率直に書いて、なぜ自分がそう感じざるを得ないのか、そのことをきちんと分析しているからですね。思想の背景にある足元自体を分析して、投げ出す相対化の目線がちゃんとある。大阪の貧しい家庭に生まれて、周りには「部落」があり、在日コリアンもいて、差別もあるんだけど、大阪のその地域全体が貧しかった。差別したが、「そう言う町の人たちの暮らしもまた相当にひどいものだった。たいていがバラックのような長屋造りの小さな家に住み、職のない人も珍しくなかった」(11頁)と。

 もちろん、だから差別していいとわけではないですが、そういう環境だからこその感じ方・考え方である、ということを曝け出している点は評価できます。他人を助けようとする優しさもあるし、共同体を活気づけようというポジティヴな動機も見られるし、自分のダメさ、しょうもなさも十分に自覚している。

 ただ、やはりそういうことと、差別的でヘイト的な発言はどう関係しているのか。それらは矛盾しているのか。むしろ、そこから出てきているのか。

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

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百田尚樹は震災後に「転向」したのか?