百田尚樹をぜんぶ読む 第5回

百田尚樹は震災後に「転向」したのか?

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】確かにこの辺りは、僕と藤田さんで大きく認識が異なる点かもしれないですね。

たとえば僕は、東日本大震災以降の百田尚樹は決定的に「転向」した、と考えています。ある時期までの百田の小説は、公正にみて──まあ無神経で反動的な面もあり、女性表象や左翼イメージにかなりの危うさがありながらも──、ヘイトや差別の産物とまでは言いきれないものだった。

 時系列順に読み進めた限りでは、震災の経験と、震災後の安倍政権的なものとの関わりによって、彼の小説の物語構造そのものが根本的に変わってしまった。転向後の世界観を象徴するのが『海賊とよばれた男』や『カエルの楽園』のような小説です。逆に言えば、その後の百田がなぜそのようなネトウヨ小説、ひどいプロパガンダ小説を書くに至ってしまったのか、そのことが問われねばならない。

rogue / PIXTA(ピクスタ)

 しかし藤田さんはむしろ、初期段階の『永遠の0』から、すでに危うい面が強かった、という感じですよね。

【藤田】そうですね。『永遠の0』の時点で「朝日新聞に皆は騙されているが、真実の歴史はこうだ!」という歴史修正的な物語だったと判断します。外堀を埋めるために人脈的な話をすれば、百田と安倍首相の対談をセッティングしたのは、花田紀凱です。花田は、文藝春秋の雑誌「マルコポーロ」の編集者だった。かつてユダヤ人の虐殺はなかったという歴史修正主義的な記事を載せて大問題になり、雑誌自体が廃刊になっています。

 百田尚樹の基本的な歴史観は、保守派の代表的論客である渡部昇一などと同じ、WGIP【ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム】的な歴史観です。 

 WGIPとは、戦後の日本はGHQの情報統制や教育によって洗脳され、ひたすら戦争責任という罪を感じるようになり、左翼や日教組や朝日新聞の自虐史観に支配されてしまった。しかし本当は日本人は素晴らしい民族なのだから、偽りの歴史認識を打破しなきゃいけないんだ。そういう歴史観です。江藤淳が「閉ざされた言語空間」(『諸君!』一九八二年)で取り上げて、大きな話題となりました。

 この歴史観がどこまで事実なのかは議論があり、色々読んだ上での判断ですが、「言うほどじゃないかなぁ」と思っています。一次資料にあたって検証した賀茂道子さんの『ウォー・ギルト・プログラム──GHQ情報教育政策の実像』(二〇一八年、法政大学出版局)によると、その名前のプログラムをGHQが行ったのは事実だが、保守論壇が言うほどの大掛かりなものでもなく、影響も限定的だったのではないか、と言われています。 

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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