百田尚樹をぜんぶ読む 第5回

百田尚樹は震災後に「転向」したのか?

藤田直哉×杉田俊介

【杉田】うん。その問題をやっぱり考えていきたい。戦後のありふれたおじさん、無神経だけど善良なおじさんであるにもかかわらず、差別者になってしまったのか、むしろ、善良なおじさんであるからこそ、差別者になってしまったのか。というのは、善良な人間が限りなく残虐なことに手を染めるというのは、歴史的に繰り返されてきたことですからね。

 つまり、百田の小説の中にある見かけの善良さの中にはやはり幾つもの盲点があって、そこがまさに差別やヘイトへと転じていくのかもしれない。そこのねじれ方ですね。そのことを考えつつ、百田作品を読んでいかねばならない。

【藤田】そもそも、歴史修正主義って、必ずしも悪意によって生じるとは限らないんですよ。先祖や仲間に対する偏見やバッシングを何とかしてあげたい、守ってあげたい、という気持ちから生じる部分もあるでしょう。悪意じゃないからこそ、歴史修正主義はかえって厄介なのではないか。

【杉田】とはいえ、先ほども言ったように、百田尚樹の場合、ある種の実存性(男性問題をめぐる弁証法的な葛藤と試行錯誤)があって、それはヘイトや歴史修正に必ずしも回収されない部分をふくんでいるのではないか、と僕は思うんです。その辺りは両義的に、繊細に見てきたい。

ツネオMP / PIXTA(ピクスタ)

 しかし『海賊とよばれた男』の辺りから、そうしたねじれた実存性が完全に消えてしまい、そのあとはかなりベタな差別者、歴史修正主義者になってしまった。僕にはそう見える。

 逆に言えば、そうはならないですむ可能性はなかったのか。別の方向に分岐する道はなかったのか。彼の作品を読んで批評するとは、同時に、そういう潜在的なありえた可能性を考えてみることだとも思う。

 そもそも震災以降の『海賊とよばれた男』や『カエルの楽園』は、小説としての骨格自体が全くダメになっている、と僕は感じます。後で具体的に論じますが、複雑な視点を欠いた非常に単純化された物語構造になってしまっている。そもそも近年の彼はほとんど小説作品を書いていませんね。その代わりに、嫌韓・嫌中的な政治エッセイや、同類の人々との対談集を大量に出版するようになった。  

 藤田さんの図式でいえば、(1)小説家としての顔がかなり縮減されて、(2)の保守思想家と(3)のメディアイベンターの側面を強めている。『カエルの楽園』は、もはや小説というよりプロパガンダでしょう。

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百田尚樹をぜんぶ読む

ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

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