百田尚樹をぜんぶ読む 第11回

『永遠の0』(1)

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】それでは、ここからは作品を一つずつ論じていきましょう。ブックガイド的な意味も含めて。まずは『永遠の0』からです。

 執筆動機として、次のようなことを言っています。当時、五〇歳を前にして自分の生き方を見つめ直したかった。テレビ屋としての自分の人生はこれでよかったのか、という気持ちもあった。

 先の戦争を経験していた自分の父親が当時末期ガンで、余命半年と宣告されていた。さらにその二年前もしくは一年前(これについては発言場所によって百田の発言に若干ズレがあるのですが)に、同じく戦争を経験した叔父さんをガンで亡くしていた。彼らから戦争中の話を聞いていたから、そのことを考え直してみたい、という気持ちがあった。

 『百田尚樹 永遠の一冊』所収のエッセイなどで繰り返し本人が言っていますが、そういう経緯があったそうです。結局、お父さんには完成した『永遠の0』を読ませられなかったそうですが……。

 発売後はあまり売れなかったものの、じわじわと評判になって、単行本と文庫の累計五〇〇万部を超える大ヒット作になりました。これまでの百田尚樹としての最大のヒット作でもあります。

 さらに山崎貴監督の映画(二〇一三年)があり、テレビドラマ(テレビ東京、二〇一五年)にもなり、マンガ版(作画・須本壮一、全五巻、二〇一〇~一二年)もあります。多角的なメディアミックスの展開もされてきたわけですね。

 小説の内容としては、中心となる視点人物になるのが、健太郎という二六歳の青年です。大学卒業してから四年のあいだ、司法試験浪人中。現在ニート。無気力であまりやる気のない青年ですね。フリーライターのお姉さん、慶子が終戦六〇周年のプロジェクト(戦争体験者の証言集)の共同執筆に関わるということで、弟の健太郎にそれを手伝ってもらう、という流れになります。

 特攻隊の人たちの証言を集めるのですが、自分たちの祖父が特攻隊で死んでいるので、そのことも調べていくことになります。祖父の宮部久蔵は、結婚してわずか一週間で真珠湾攻撃に参加して、二六歳の時に亡くなっていた。つまり、現在の健太郎と同じ年齢で死んでいる。

 だから『永遠の0』には、百田のお父さんの世代(戦争世代)と、百田自身の世代と、百田の子どもの世代(健太郎たちの世代)という三代を繋ぎ合わせる、という意図があります。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

 現代の若者である健太郎も、当初は、特攻隊は自爆テロと同じだとか、カミカゼアタックは国家と天皇のための狂信的な愛国主義だとか、そういうイメージにとらわれていたんだけれども、祖父の宮部久蔵についての事実を知っていくに連れて、最初の思い込みが壊されて変化していく、という仕掛けになっています。

 当時の久蔵を直接知る関係者たちの証言(それぞれの一人称で語られます)を次々と聞き取っていくんですけれども、その人によって久蔵に対する評価が違うんですね。臆病者で卑怯者だったとか、神業のような凄腕パイロットだったとか、互いに矛盾する証言が出てくる。

 視点ごとに多様な解釈があり、祖父の宮部久蔵という人物の真実がにわかには分からない、というポストモダン(本当と嘘の決定不能、オリジナルとコピーの等価性、様々な立場の複数性などが当たり前になった世界)的な構造の物語だとは言えます。ただ、それらの関係者の証言の中から、だんだん久蔵をめぐる一つの真実が浮かび上がってくる、というふうに多様性は収斂していきますが……。

 生き残った人々の証言から、生前の久蔵は「私は死にたくありません」「私は帝国海軍の恥さらしです」「妻のためにも死にたくない」「娘に会うためには、何としても死ねない」「死ぬのはいつでもできる。生きるために努力をするべきだ」ということを一貫して出張していた。戦後のヒューマニズムや生命至上主義のような思想が、戦中にいわば密輸入されているところがポイントになります。

 そして『永遠の0』の物語上の最大の謎は、死にたくないと言い続けていた久蔵がどうして特攻に志願して死んだのか、という点にあります。しかも物語の終盤に、久蔵はゼロ戦をわざと故障させて不時着させて、生き延びる計画をひそかに立てていたのに、出撃の直前、なぜかぎりぎりのところで飛行機を若い部下(大石賢一郎というのちの祖母の再婚相手で、健太郎たちの育ての祖父にあたります)のものと入れ替えていた、という事実が判明するんですね。

 それはなぜだったのか。こうした謎を中心に、物語が展開していきます。

 

【藤田】その謎の解決がわかりにくいですね。

 

【杉田】そうなんです。じつは、物語上のこの最大の謎は、それほど合理的には解消されていません。多くの人が、映画版も含めて、ここはよくわからない、納得できない、と述べています。

  たとえばある人は、教え子たちが特攻で次々と死んでいく罪悪感に耐えきれずに、罪の意識から死んだ、という解釈をしています。映画版は、原作の小説に比べても、鬱病を思わせるような陰惨な演出が為されています。山崎監督は原作をそう解釈した、ということでしょう。

 とはいえ、小説にしても映画にしても、やはりそこは奇妙に不透明な謎というか、消化しきれない異物として残り続ける。

 

【藤田】杉田さんはどう解釈されましたか。

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

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プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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