百田尚樹をぜんぶ読む 第12回

『永遠の0』(2)

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】考えてみれば、百田尚樹の『永遠の0』でも、家族(主義)の描き方が最大の盲点になっていたと思います。いちばん感動させるポイントもそこだけど、いちばんの弱点もそこだった。

  つまり、小説家デビュー作としての『永遠の0』の中にすでに、百田の作家としての、人間としての弱点が刻まれていて、それがその後の過程の中でむき出しになってしまったのではないか。その内在的な論理を探るのがいわゆる「イデオロギー批評」だと思うんだよね。「デビュー小説の『永遠の0』だけはよかった」「『永遠の0』はよかったが、その後の数年間で百田は作家としてダメになってしまった」という単純な話ではなくてね。

  国家も軍隊も信じられないが、最後に帰るべきは家族であり、どんなに醜くて卑しくても、そのために生き延びるんだと。それは戦後社会の「おじさん」たちの矜持であり、倫理の根拠でもありえた。内田樹が言うように、どんなに限界があるとしても、それは安易にいたずらにバカにできないものだったと僕は思います。

 

  しかし『永遠の0』のそれは、非常に限定された意味での家族主義であり、いわば家族のロマン化でもあるわけです。本当は多様な家族の形があるのに、特定の家族の形を理想化してしまっているから。それにそもそも、家族の中にだって、性差による非対称があり、DVや虐待はあるわけですよ。かつて上野千鶴子が吉本隆明の対幻想(家族領域の特権性)を肯定しつつ、その点で批判したことを思い出します。だから人間には、「家族への自由」と共に「家族からの自由」もあるべきです。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

  たとえばのちの『海賊とよばれた男』では、最初の妻のユキさんに子どもができないと、その奥さんが勝手に身を引いて、主人公の前から「都合よく」消えてくれる。これ、ひどい話ですよ。現実的には奥さんは「非生産的」として家族領域から排除されているんだけど、それすら貞淑な妻の美談によって片付けてしまう。会社の家族的経営の中にだって、ほんとはそういう暴力がたくさんあるわけでしょう。

  つまり、『永遠の0』の物語にとっては、国家や軍隊に逆立するものとしての家族が最後のぎりぎりの倫理の根拠になっていたけれど、逆にそれが――歴史的に構築された特殊な形での家族をロマン的に特権化することによって――非倫理の原因にもなってしまっていたのではないか。

 『永遠の0』には、敵兵であるアメリカ人の持ち物から妻の裸の写真が出てきて、敵にも家族がいたんだ、それでも戦争だから殺すしかないんだ、と生々しく葛藤する場面があります。しかしそれならば、物語の中心に置かれた家族主義の感覚を、もう少し、非定型的な家族や非日本人たちへも開けなかったのか。

 『永遠の0』は、戦争の不条理や非合理を嫌悪する、という意味での平和主義であることは疑えないんだけど、それでもやはり、自国の平和のためなら、他の国の犠牲はどうでもいい、あまり関心がない、という構図があるように見える。

  つまり「反戦平和主義+家族主義」が合体して、軍国主義や国家主義とは別の形で、物語の構造を通して、ある種の排外性が生じてしまっている。「自分と家族の命を守ること」が絶対化され、ゆえに「敵」は絶対的な恐怖の対象になる。そこに、平和や安全を祈るからこそ過剰に攻撃的になる、という仕組みがあるのではないか。そうした見えない構図それ自体が問われるべきだと思う。

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プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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『永遠の0』(2)

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